口遊む





今でもその音は流れる。声に出そうとしても変になる。だから俺にしか分からない音が、

この身体の中を変わらず流れ続けて、血脈とともに流れ続けて、

「少し昔の思い出」






そんな音を、どうせ正しくならなくても、口ずさむ。

外の駐車場の、いつものへりに座って。ひどく寒いけれど、耐えられる限りは、ここに座るのが好きだ。









綺麗だ。ちょうど視界に月が映る。ああ、ちゃんと見上げれば、星もたくさん見える。その色までも。

なんだ、地元より東京のこの空の方が、星がよく見えるじゃないか。









誰にも邪魔されない時間だ。
今だけ、俺は俺の人生を生きてる。

数ヶ月ごとか、あるいは何年ごとかわからない。
人生の区切り、日々と日々が移り変わる狭間にしか訪れない、自分ひとりだけの数時間。

数年後、社会人になって、仕事に振り回されるようになっても、
5年後も、シリウスの8年後も、ベテルギウスの640年後だってわからなさでは同じだ、


それでも俺は最後にひとり、またこのへりに座って、暗い隣家と低い塀と、自販機を見ながら死ぬだろう。












口ずさんでも、自分の歌声は聞こえない。耳を覆う無線のヘッドホンでズルをしている。「少し昔の思い出」の中で使っていたものとは残念ながら別物だ。



足を組み、靴の踵でリズムをとっている。手を使わずに履けるというだけで選んだ、部屋着に不釣り合いなハイヒールは、良い音が鳴る。










くちずさむという字は、口遊むと書くらしい。







口で遊ぶのは、口寂しいからだろうか。かすれた息の歌は、先ほどからずっと、夜空へと白い。








このコンクリに腰掛けるときは、いつも唇だ。
タバコを吸って、たまにお酒を飲んで、夜空に向かって歌い上げる。

好きな、というにはあまりに自分の一部だった、アルバムがあった。その音を、この身体に脈打つ音を、改めて聴くことができるのは、もう、最後かもしれない。





最後の、純粋な記憶。















これから俺が、どんなに引きこもって過ごしたとしても、どんなに当時の記録に縋っても、記憶をそのままにはできない。

この地を歩んで、愛しい人々に染まって、
思い出す度に、彼女も、彼女の記憶も、

「今も、愛も、過去も、夢も、思い出も、鼻歌も、薄い目も、夜霞も
優しさも、苦しさも、花房も、憂鬱も、あの夏も、この歌も
偽善も、夜風も、嘘も、君も、僕も、青天井も」、

そんな歌詞に預けた意味も、

変わっていってしまって、
もう彼女の美しさも、2年分の思い出も、それを生きていた自分の悲しみとも、繋がりが絶たれて、なんでもなくなってしまうのだろう、













ほんと言うと、それが怖くて、口ずさんでいた。
口ずさんでももう、そのどれも思い出せない。








美味しいお酒でも飲みます。