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握り締めた自分を手放してー"Close Contact"


無理やり言葉にしようとすると、自分やこの空間に嘘をついているようで、それがすごく嫌だった。五感で感じたくて、嵐の前のような波の音を聞きながら目を閉じていろんな雑念を消し去る。そしたら、涙が出そうになった。それがどういう感情だったのかいまだに不確かだけれど、怖いに近い感情だった。洞窟の暗い空間に一人で取り残されて、何もできずにうずくまっている、内に秘めているものを剥き出しにする感覚に近しい。

こういう空間に来ると、毎回私の中に同じ問いが浮かぶ。日々何を感じ、何に追われていて私は何に執着しているのだろう、と。不思議でたまらない。何度も大切なものを握り直しては大事にしようと、無駄なものなんてないと自分に深く落ちていくのに、日々の流れに薄れていく。

久しぶりの展示会

" Close Contact "
表参道で開催されていた山川咲さんのエキシビションの最終日になんとか滑り込めた。催すイベントによって、役割も雰囲気も色を変えるIWAIは今日は完全にこのエキシビションのために建てられた場所だった。

大学生時代から山川咲さんの講演会や展示会にちょくちょく足を運んでいて、憧れの対象である。生きることにすごく真っすぐで、繊細で芯は太い、そんな姿にすごい胸を打たれる。

過去の自分

入り口に展示されていた0歳から現在までの写真と一言。ここまで他の人に、昔から知っていたかのような感覚を持たせる言葉のチョイスは本当にすごいなと思った。どんな人にも闇がある、確かにそうかもしれない。綺麗な空気だけを吸って生きてきた人なんていないんじゃないだろうか。様々な側面をもっていて、その時々によって、周りの人から評価されたり、貶されたり、自分自身でも自慢できたり、鬱陶しくなったりするものなんだろうと思う。

学生時代には確かに私はたくさんの影が落ちている。過去は美化しがちだから、小さいものはもう記憶にもないかもしれない。それでも私の一部となってきっと細胞レベルで今の私に影響を与えていそう。周りのたくさんの人のおかげで少しずつ私も私を好きになってきて、愛せるようになった。まだまだ劣等感を感じることもあるけれど昔よりはずっとマシだと思う。

煙を超えて次の世界に入り込んでから、こみ上げてくるものが何度かあった。こんなにも、なんてことのない日常に愛すべき瞬間が詰まっている。日々たくさん発生する事実の中に、自分の過去の経験からいろんな解釈を加えて一喜一憂していると思う。でもよく目を凝らすと、本当はそんなに取り留めない出来事だったり、それと逆で、気にも留めず流していた出来事が、自分にとってすごく大切で、抱え込んででも愛すべきものだったり。

今日信じていたものを明日信じているとは限らない

これを聞いて、何か肩の荷が降りたような気がした。あ、変化していいんだ、いいと思っていたものを手放してもいいんだ、もっと振り子に振られていいんだ。そう教えてもらった気がする。

仕事をしていく中で責任が徐々に増えて、自分の欠点と向き合い、チャレンジする選択を前より増やしてきたと自信をもって言える。ただその分、会社に染まりそうで、私が私じゃなくならないかすごく不安になっていたんだと気づいた。もちろん日々は楽しいし、そんなに悩んでいることもない。ただどこかで私の心に浸食していたのだろうな。

いいんだ、今日まで信じていたものがやっぱり違うと思ったら手放して。新しいところに踏み出しちゃってもいいんだと背中を押された気がする。

振り子のもっと90度いったところまで振り切っちゃいたい

今日この1時間くらいの体験で、最近鎌倉にでも住んでゆったり暮らそうかなとか考えていたけど、もっともっと私が消えるくらいすり減らしていこうと思った。幸いなことにまだまだ私は確かに自分がはっきり認識できて、私という存在を握り締めている。私ってなんだ?そう苦しくなるくらいすり減るまでまだまだ走りたいなと思った。振り子の原則でその後また私らしさを握りに行けばいいと思っているから。


たくさんのことを感じたものだった。多分言葉にしたら感じたことのほんの一部になってしまうけど、残さなかったらもっと忘れちゃいそうだから、こうやって言葉にしよう。



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