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出産レポ(1年前のはなし) ~無痛分娩でも痛いやないかい~

今更だが、約1年前の出産のことを書く。

ギリギリ高齢出産ではなかったけど30代の初産ということで、色んなリスクをある程度覚悟はしていたが、ありがたいことに大きな問題はなく出産当日を迎えることができた。(これは本当にありがたいこと)
残すところは無事に出産できるかどうかというところ。痛みにすこぶる弱い私は初めから無痛分娩を希望していたので、それに24時間365日対応してくれる産婦人科に通っていた。

出産予定日を翌々日に迎え、前駆陣痛らしきものがはじまり、不規則に「イテテ…」と少し声が出る程度の痛みが襲う。痛みの合間で睡眠もとったが、10~30分おきに来る痛みせいでまとまって寝られないので、ずっと寝不足状態。それが丸2日続いた。
これ本陣痛か?よくわかんないけど、病院行ってみてもいいかも、と判断したのは予定日の前日の早朝だった。病院が開く少し前の時間に夫に病院に送って行ってもらい、本陣痛ですね、と。痛みは増していたものの、しゃがみこめばまだ何とかなる程度の痛み。ただ、寝不足と疲労と短い間隔での痛みのせいでごはんを食べる余裕はなかった。

陣痛室?みたいなところに着くとちょうど出産間近な人の声が聞こえた。「痛い痛い痛い!!!!!むりー!!!!!無痛にすればよかったぁぁああああああ!!!!!」
その叫びを聞いて心底無痛希望にしてよかったと思った。

しかし、そんな安心も束の間。襲い来る本陣痛の恐ろしさ。なぜ無痛は無痛でも計画無痛の病院にしなかったんだ、私!(ちなみに計画無痛ができるところは少し遠いところにしかなかった)痛みはどんどん増していき、痛みの間隔も短くなり
「痛い痛い痛い!!!!!もういやだ!!!!!無理!!!!!麻酔いついれてもらえますか?まだですか?早くしてください!!!!」
本当に上に書いたようなことを延々と叫び続けた。子宮口7cmくらいで麻酔を入れてもらえると言われていたが、その時がどんな状態なのかを私は全く分かっていなかった。この時点でたぶん男の人なら死ぬ痛みです。(私調べ)

みんなこんな痛みを経て出産しているなんて信じられない。ただ始まってしまったらもう止められない。耐えるしかないのだ。正直この時は子のためにがんばらなきゃ!みたいな聖母マリアのような心は持てなかった。とにかくはよおわれ!!!!!それだけ。子のことを考える余裕なんてなかった。

背中をさすってくれていた助産師さんがどこかへ行ってしまうと「行かないで!」と言いたくなるほど、彼女たちのゴッドハンドはすごかった。痛みがかなり和らぐのだ。中でもベテラン助産師さんはすごかった。一瞬痛みから解放されるくらいの神業だった。助産師さんには本当に本当に頭が上がりません。

私が入院した日はスパルタな女医さんの日だった。もう意識もそぞろの中で覚えていないが、たぶん陣痛促進剤を何回か足され、ようやく麻酔をしてもらえたのは出産まで2時間もないくらいの頃だった。実に叫び続けること10時間近く。たぶん。ちょっと盛ってるかも。いや、少ない気もする。とにかく地獄のような時間だった。

コロナの関係で夫を呼べるのも出産前後ということで麻酔が徐々に効いてきたころに連絡をした。夫が着く頃には麻酔も効いていて、うっすら残る痛みを頼りに最後の最後の出産に挑んだ。最終的に吸引もしてもらい、無事生まれてきた娘。
やっと終わった!ふぅ~!すっきり!という気持ちが先に来て、その後、娘を抱くと感動という言葉では表しきれない不思議な気持ちに包まれた。

出産後、スパルタな女医さんがなんでこのタイミングで麻酔をするのか説明してくれ、納得はしたものの、でもやっぱりもっと早くに痛みから解放してほしかった!と今でも思う。「次はもうちょっと早く麻酔してあげられるから」と言われたが、「次はもういいです!」と即答した私。もともと2人目は考えていない我が家ではあるが、この時は心底もう2度と出産はしない、と思った。女医さんは「みんなそう言うけど、忘れちゃうのよ」と笑っていた。
いいや、私は絶対忘れない。

本陣痛から出産までは初産としてはまぁ標準的な時間と言われ「マジかよ…。」と思った。そして24時間食事もとれず、2日半くらいまともに寝れていなかったので、さすがに直後は熱も出てヘロヘロだったが、なんとか出された豪華なごはんを食べられるだけ食べ、横になった。

そんな感じで娘は夏の夜に産まれてきてくれたのだった。

そこからの日々がまた幸せでもあり、大変な日々の始まりなわけだけど、それはまた。
書くかもしれないし、書かないかもしれない。

娘、無事に生まれてきてくれてありがとう。
まずはここまで元気に育ってくれてありがとう。
これからも元気にすくすく育っておくれ。

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