硫黄島を訪ねた思い出
今日この記事を読んでオレは涙が溢れてどうしょうもありません。
父方の祖父は横浜の逓信省電信局に勤めてましたが、北支戦線に召集され陸攻(爆撃機)乗りになりましたが結核を患い若くして亡くなりました。残されたばあちゃんは保土ヶ谷に住んでましたが横浜大空襲で焼夷弾が庭に落ちる中、子供たち(父親・叔父たち)連れて生き延びました。生活が苦しく脳卒中で後を追うように戦後早く亡くなりました(したがって逢ったことがありません、久保山の市営墓地でお墓参りするのみです)。父親は高等小学校卒です。50年働いてそれなりの会社の役員になったので、そこは素直に凄いと思ってます。
もうじき引退ですが、一番の思い出は硫黄島に行ったことです。時間が止まっているような不思議な気持ちでした。
(*´σー`)エヘヘ