見出し画像

硫黄島を訪ねた思い出

今日この記事を読んでオレは涙が溢れてどうしょうもありません。

父方の祖父は横浜の逓信省電信局に勤めてましたが、北支戦線に召集され陸攻(爆撃機)乗りになりましたが結核を患い若くして亡くなりました。残されたばあちゃんは保土ヶ谷に住んでましたが横浜大空襲で焼夷弾が庭に落ちる中、子供たち(父親・叔父たち)連れて生き延びました。生活が苦しく脳卒中で後を追うように戦後早く亡くなりました(したがって逢ったことがありません、久保山の市営墓地でお墓参りするのみです)。父親は高等小学校卒です。50年働いてそれなりの会社の役員になったので、そこは素直に凄いと思ってます。

もうじき引退ですが、一番の思い出は硫黄島に行ったことです。時間が止まっているような不思議な気持ちでした。

あちこちに遺棄された兵器を見ることができます。
地下壕の遺骨を絶え間なく収集してます。ほぼ終わったのですが、超音波探知機で滑走路下に多数の空洞があることがわかりました。滑走路を移設してその下の調査するという大掛かりなプロジェクトが計画されてます。
摺鉢山です。
摺鉢山山頂です。日米の慰霊碑があります。
戦没者はすべての県出身者です。
摺鉢山から見る南海岸(米軍が上陸した)
海兵隊の慰霊碑です。
地下壕の慰霊碑です。
この後地下壕内部に入りましたが、異世界のようで写真を撮れませんでした。サイダー瓶・飯盒など備品が朽ち果てながらも残ってます。蒸し暑かったです。

(*´σー`)エヘヘ