見出し画像

2022.9.10 李禹煥展

李禹煥展を見に行く。

この人はどういう思いを持って生涯をかけて作品を続けているのだろう。どんな葛藤があって、どんな覚悟があるのだろう。最近はそんなことを考えながら作品を見ることが多くなってきたように思う。答えが欲しいわけではないが、自分が悩んでいることへの糸口を探しているのかもしれない。とにかく彼は同じことを続ける、そして無駄なことをしないという覚悟が凄いのだと思う。

ビジネスという観点で言えば、彼の作品はしっかりと軸があり、ある意味では仕組み化されていたと思う。軸や仕組みを作ることはとても難しいことだが、それが自分の身を救うこともあるのだろう。自然素材と人工素材を組み合わせる。点や線を時間という概念と組み合わせて描く。グラデーション。そのようなシンプルな仕組みの中に、少しずつ、しかし着実な発展をしながら、そのときのベストを出し続けているような印象を受けた。

彫刻は、直島の李禹煥展に行った時ほどの感動はなかった。おそらく空間と彫刻の一体感が感じられなかったのだろう。言葉を選ばなければ、なんとなく家具屋さんに家具が置かれているような印象を受けたのである。(それでも作者は相当悩んで配置したのだと思うが、ホワイトキューブでは限界があるのだろう。)境界のない彫刻はそれが難しいところ。

一方で絵画は、明確にキャンバスという境界があり、違和感がなく鑑賞ができた。規則性の中の不規則性。人が極限まで機械的に描くことで際立つゆらぎのようなもの。恣意性を排除することによって、かえって人間味というものが強調されるように思うのだ。最近、濱口竜平のドライブマイカーや偶然と想像を見たが、彼の作風も演者にセリフを棒読みさせる、それによってかえって演技に集中できる。削ぎ落とすことで本質を浮かび上がらせるのだ。

ちなみに、展覧会のメイキング映像もあるが、あの石と割れたガラスの彫刻は即席でしかも他の人の手によって(!)創られていることには驚いた。でも楽しそう。
https://www.youtube.com/watch?v=jSMXPnjnI_0

また直島に行こう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?