見出し画像

コンピュテーショナルデザインを始めるきっかけと厳しい現状

安藤忠雄のストイックな建築や生き様に憧れを抱き、また理系・文系・芸術系の複合領域のような曖昧で多様な分野に格好良さを感じ、進学を決めた建築学科。入学後、夥しい数のスケッチやトレース芸術課題・設計課題が課され、徹夜で課題をこなす日々。しんどかったけれども、でも建築に対する憧れというものは強かった。

そして学部3年生の時。訳の分からない課題に悩まされ続け、眠ることのできない日々を送る中、僕は書店で三分一博志特集の雑誌にふと出会い、そこで環境を軸に造形されていく様に強烈な衝撃を受けた。環境という目に見えないものを自分の中で見える化させ、それを造形に落とし込んでいく。かっこいい。自分もやってみたいと思うようになった。

これがきっかけとなり環境系の研究室に進学し、これまでの芸術学校のような雰囲気から一気にアカデミックになり、少し混乱したものの、でも自分には合っていたようで、環境工学を学び、実測やシミュレーションにより、環境を身体化していった。

修士1年の時。それがコンピュテーショナルデザインとの出会いだった。Rhinoceros + Grasshopperという響きがなんともかっこよかったし、UIもかっこいい、かつ非常に使いやすい。僕はのめり込んでいった。その重要性がどうのこうのとかはどうでも良く、とにかく環境を見える化して、さらに造形をパラメトリックに変化させながら、非常にインタラクティブに解析が行われる様に感動したのを覚えている。修士論文ではこのツールを駆使し、最適化技術によりファサードの提案を行った。

・・・それから5年が経ち、僕は設備設計者として、設備のシステムや容量を決め、意匠とスペース取りの打ち合わせをし、ダクトや配管の図面を書き、狭い天井の中をどう通すか必死に悩み、暑い寒いという現場のクレームを頭をひねりながら日々格闘している。もちろんシミュレーションも扱うが、自分で扱っている時間など当然無く、専門チームに任せっきりである。その解析結果を見て、当然何度も解析を回す時間もなく、インタラクティブな設計には程遠い。そして何より、「環境」は後回しにされがちなのである。なんせ見えない。そして法的にもそこまで厳しくは規制されていない現状がある。よって、見た目の意匠・構造と絡みのある物体としての「設備」に作業のほとんどが割かれ、その場がどのような「環境」になるかということは、正直、「空調制御でなんとかなる。ブラインド閉めればなんとかなる」というのが現状の設計になっているような気がしている。もちろん、今後環境や省エネというのは重要になっていくのは自明だが、その時設備設計者が「環境」まで包含して見ることのできる気力・体力・時間があるかどうか。自分は疑問に感じる時がある。

と不安を抱えているだけでは仕方ないので、僕は自分で「Computational Environmental Engineering Lab」(略してCEEL)というチームを3年ほど前に何となく立ち上げた。現業というよりは、アイディアベースのワーキングというのが社内にはあり、その一環であったが、立ち上げ時期とほぼ同タイミングで、たまたま設備内にgrasshopperの使える方が入社し、その方も当然CEELに誘い入ってもらうことにした。その人はとにかくツールが色々と使えたため、専属になってもらうことになった。徐々にプロジェクトが増え、アウトプットの分かりやすさやインタラクティブ性で、ある程度の市民権も得て、割と順調に進んでいるのかもしれない。

一方で、僕は設備設計者としてほとんどのリソースを消費しており、CEELとしての活動は殆どできていない。ツールも殆ど触れていない。これが現実なのである。僕はCEELの専属として一定期間リソースを割きたいという思いが強くなってきた。そしてそれがあと少しで実現しようとしている。

・・・「ところでそのコンピュテーショナルの意義って何だっけ?やる意味あるの?」・・・

ある時面談で、上司からこんなことを言われた。そして飲みの場でもいろんな人から。もともと口下手というのもあるが、正直、ちゃんと考えたことがなく、口ごもってしまった。だって好きでかっこよくてやってきただけで、そんな意義とか考えたことなかったのだもの。

しかも、このような分野というのは知らない人ほど理解が得られにくく、物事を単純化し過ぎてしまうことで、新しい部分が見えなくなってしまうように思う。このご時世、分かりやすく「新しい!」って思うことなんて、もう殆どなくって、小さなマイナーチェンジを繰り返して、その積み重ねが「新しいかも」くらいになっていくのが現実なんじゃないか。それをその場でサクッと説明なんて、本当に難しい。

さらには、自分が設備設計者としてもがいている間に、既にコンピュテーソナルに新規性なんてものは無くなりつつある。正直スタートが遅かった。でも、周りもきっとそこまで深く考えていない。新しいし、なんかやっておいたほうが良さそう、くらいで始めているのだったら、もう一度、落ち着いて考えてもいいのじゃないかと思い始めた。そして、ビジネスをやっていく以上、それを説明するのは避けて通れないのである。「分かってる人だけが理解できれば良い」では通用しない。あまり知識のない、経営陣や時には施主にだってメリットを簡潔に三行で説明できるようにする必要があるのである。

もしかしたらこんなこと、今更感があるのかもしれないが、僕はあまり「新規性」や「一番乗り」というのに興味がない。いかに深く考え、自分で答えを出せたかが重要であり、それが結果的に二番煎じになったとしても僕は気にしない。世の中「一番」だけを追い求めてたら息が詰まる。それより自分の思想や技術を深めていくことのプライオリティが高い。

よって、次回からはコンピュテーショナルの意義について、まとめた記事にしたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?