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絵日記ってムズくない?って話

絵日記ってムズくない?

ある年齢に達すると

そこそこ書かされる宿題の常連、絵日記。


今大人になって冷静に考えると、
絵日記を書くのには4行程くらいあることが分かります。

1:伝えたい内容を考える

2:内容を文字数制限以内で文章化する

3:内容が伝わる絵を考える

4:その絵を描く

試される表現する内容の着眼点。

語彙力、言語化能力、文章の構成力、図案化能力、画力…

あげればキリがない

ざっとあげても、かなりの能力が試される代物です


そもそも国語と美術のドッキング

反則です


何気なく書かされていた宿題の常連、絵日記一枚に
こんなにも必要な能力が詰まっていたとは

まぁ、だからこそ宿題の常連に君臨しているわけで

今だから分かります

でも子供の頃は分かりません

言ってよ、先生

へい、ティーチャーYO!


話が少しそれますが

私は勉強が全くできません

相当できません

それが私の特長になるほどできません

「やればできる子」と言われて早30年以上

できません

私に言わせれば「やればできる子」はいません

勉強のできない子は
やることができないからできないんです

私は「やればできる子」ではありません

「やれない子なのでできません」これです

ただの怠惰です

やらなきゃいけないのに、やりたくないことができないのです

そのやりたくないレベルが尋常じゃないので、
本当にやらないんです。

だから、やらないので、できないのです

偉そうに言ってますが結果、

シンプルに偏差値社会の脱落者です

ありがとうございます


そんな私ですが、
奇跡的に現代文と美術だけはできました

正確に言うとあと体育

得意科目、国語(現代文限定)、美術、体育


嗚呼かわそうな子

見るからにアレですね

でも現代文と美術はできたので、絵日記は得意でした

得意科目が3つしかない私にとって得意と言えるそれはもう奇跡

私は小学校に入学してから

あるテーマで自主的に絵日記を書いていました

自主的に書いていた絵日記


それが給食絵日記です

画像1

色々つっこみところは満載なのですが、そこはいいじゃない

これが私が小1の時に実際に書いていたもの

この前母に「ウケるの出てきた」と渡されました

昼に学校で食べた給食を、帰宅後絵日記に書く


宿題ではありません
誰かに強要されたわけでもありません
誰に見せるわけでもありません

でも毎日書いていました

理由は簡単です

給食がめっちゃくちゃおいしかったんです

私は地元の普通の公立小学校に
通っていましたが、給食がおいしいと評判でした

食が細かった幼少時代、母の秘策

私は子供の頃から食が細く、
あまりにもご飯を食べないので、心配した母親が、
お菓子のとんがりコーンにご飯を詰めて、
騙し騙しご飯を食べさせていたそうです


母親もどのお菓子なら、私にバレずにご飯が少しでも
多く詰められるか、
穴の空いている、ポケット形状のお菓子を探し回ったそうです

虚しい努力をさせてしまいました


そこで行き着いたのがとんがりコーン

昔あれを指にさして遊んだこと、ありませんか

私の知ってるとんがりコーンには指が入りません

なぜならご飯が詰まっているからです

食べるとさくっとしますよね

私の知ってるとんがりコーンはさくっとしません

なぜならご飯が詰まっているからです

そんな食の細い私が初めて食に興味を持ち、
毎日ちゃんと給食を完食し、そのおいしさに感動し、
それも絵日記に書いて母に伝えてくるまでに成長しました

母は感動と、安心をしたそうです。

私はこのとんがりコーンご飯話を聞いた時、
うちのおかんバカだなぁと思い笑いました

でも今は違います

自分が二児の母になり
子供がご飯を食べないことがどれだけ心配かということ

そしてわかります

ご飯を少しでも食べるように、どんな方法でもいいから
食べて欲しいと思う気持ち

母は、とんがりコーンにご飯を詰めてでも、
私にご飯を食べさせたかったのです

それほど私の食の細さを心配して、
ポケット形状のお菓子を探し回ってくれたのです

そして夜な夜な、私に隠れて

とんがりコーンにご飯を詰めたのです

夜なべさせて作らせたもののクセが強い

母親ってすごい

子供のために時に自分を犠牲にし、惜しみない労力をかけ育てる

誰に誉められることもなく

お金をもらえるわけでもなく

何をしても母親として当然、と片づけられ

子供の幸せを思い、日々その責任を負い

世の中からなんの評価もされず

それでも、日々の生活を円滑に回す母親という存在

それはさながらクラブDJ

家庭というフロアを沸かし、家庭の雰囲気は母親次第

まさにDJ


へい、DJ


子を産んだだけでは母親にはなれません

手垢ベッタベタな表現ですが、それは、そう

本当にそう


自分もちゃんと母親にならなければと思う毎日

そして何が「ちゃんとした」母親なのかを迷い、悩むのです


花嫁修行なんて言葉がありますが、

花嫁に修行なんか要りません

プロが総出でその日限り
ただの嫁を華にでっちあげてくれます

結婚式という名の人生の出オチを

プロが寄ってたかってプロデュースしてくれます

でも母親はそうはいきません

母親は誰も仕立て上げてなんかくれない

ましてや華なんぞ添えちゃくれません

のわりに、その修行、相当ハード、しかも自己流

日々、戦い
日々、非効率
日々、ジレンマ
日々、不条理
日々、予想不可能


母親、すご。


毎日家族が全員集合で一歩も家から出ない毎日


世の母親、ほんと、すごいNE!

世の母親、ほんと、素敵だYO!


ほんと、そう思う


もうすぐ母の日だね


自分の母親にリスペクト


母親に華を…


そして自分も…悩みすぎるな


胸を張れ


中指は人にも、そして自分にも向けるな

って大好きなRHYMESTERのDさんが言ってたぞ

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