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映画MATRIXの私的解釈

認知科学的解釈

認知科学ベースのコーチングにどっぷりつかった2021年、何度となく映画MATRIX、特に1作目を何度も見た。
見る人は当然認知科学的な視点で見ていたのだろうが、私は認知科学に触れたことで初めてそういう視点でこの映画を見た

覚醒した後に侵入するMATRIX内では、自分のマインド次第で空も飛べるし、銃弾も止められる。
そんなマインドの状態に至るためには、自己を知り、マインドを解き放つ必要がある。

自己を知るとは、この映画の中では、自分がこの世界に存在するミッションが何かを知ること。

私自身は、世界を滅亡から救うといった大がかりなミッションではないが、自分の本音の欲求や、その欲求に基づいて実現したい世界の姿がある。
自分自身に固有のミッションを知り、そのミッションを実現しようと行動を起こし、そのミッションの実現のためには何でもできると信じる生き方は、映画の主人公の生き方とも共通すると思う。

この映画は、自己とそのミッションを知り、それを信じて行動することで、人間の可能性は無限に広がるのだ、というコーチングで学んだ世界観を具現化していると感じるので、学びの過程で何度も見たのだと思う。

ちなみにインプットマニアとしては、現実世界でいろいろ知識や技能をインストールすると、それがMATRIXの世界で使用可能となるのは、実際ぜひやってみたい。
あのやり方でありとあらゆることをインプットできたらと、積読状態の本を見ながら切に思う。。

エネルギー問題的解釈

MATRIXが生まれたのは電力供給確保のためであって、人間は意識がない状態で、機械に電池として培養されている、というのが映画の設定。
電池として飼い殺し状態にしておくために機械が作った非現実世界に没入して眠り続ける大多数の人間以外に、わずかに残る現実世界の人間も、MATRIXをアップデートするシナリオを構成する一要素として生かされているだけ。
こんな世界が現実化するとも思えないが、足元の社会でも電化が進むトレンドで、エネルギー源をめぐる戦いが極限状態に至った様子を見せられると、やっぱりエネルギー問題は真剣に考えないといけないと思う。
見た人がそういう気付きを得られていると良いのにと思うが、そんな人がどれほどいるんだろうか。

なんてことを、見終わると必ず思う。
これは職業病だな。

最後に、Resurrectionsの感想

2021年に旧3部作を見まくっていたので、当然に見に行った。
しかも2回。

現実世界とMATRIXの間?に中間的な構造世界が登場したりなど、いろいろ難解で、かつ、ネットの評価など見ると、映画のストーリーそのものというより、旧3部作への世間の評価等に対する監督の想いが表現されたりしていたりもするらしいので、賛否両論あるのではと思う。

私自身は面白く見た。
が、やはり旧3部作のキアヌ・リーヴスのかっこよさがはんぱなくて、今回も頑張ってはいるが、くたびれたなあ、、という印象を持って眺めざるを得ないところだけ残念。

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