拉麺ポテチ都知事36「運転の前にタケコプター」
75歳の翁にこんなにもゲラゲラ笑わされることがあっただろうか。
先日某所で吉祥寺にあったカフェズミの店主・泉秀樹氏と再会した。カフェズミで私は知らない知識や音源をたくさん教えてもらった。そこで、今カンパニー社を立ち上げて活躍する工藤遥くんがいたし、エクスペリメンタルな音楽をレポートする細田成嗣くんとも会った。あの遅れてきた青春の様な日々についてはまた書きたいと思う。
さて、久しぶりに会った泉さんは見た目も雰囲気も何もかも変わっていなかった。私と会うためだけにレジュメを作り、たくさんの紙資料を携え、東京とは思えない和心あふれる日本庭園に私を招待してくれたのだった。
彼は六本木WAVEの設立メンバーであり、セゾングループの企業広告制作、堤清二の懐刀だった人で、渋谷系はもちろん、現在のサブカルチャーに彼が与えた影響は果てしないものがある。その割に活動はほとんどネットで知ることができない。彼の話を聞けなくなってしまうのは、人類にとってあまりに文化的損失が大きいので、私はとにかく会える内に話を聞きたいと思っていた。
先日、東浩紀氏が自身が開発したシラスの突発番組で、自分のキャリアを解説していた。それは簡潔に書くと「誰も自分を記事にしてくれないし、作品に関するきちんとした評論も出ない。だから自分で自分を語らないとなぜ僕がシラスを立ち上げ、ゲンロンという会社にこだわるのかが人々に伝わらない」ということらしい。これは確かにそうで、このままいくと語られないまま、ネット化されず消えていく日本の文化や足跡が続出するだろう。
実際、私は「ひらけ!ポンキッキ」を企画したプロデューサー陣に連絡を取ろうとして動いているが、その方々は結構の年齢でうまく繋がれずにいる。あの番組はジャズやブルースをアメリカ音楽として幼児に伝える「セサミストリート」を日本風に翻訳したもの。“ひらけ”とは「セサミストリート」が「開けゴマ」から来ていることからサンプリングされたフレーズなのである。
そしてジャズやブルースの代わりに日本の音楽を「はっぴぃえんど~スチャダラパー」、つまり「日本語ロックから日本語ラップ」という洋楽を翻訳したものに設定し、子どもに刷り込む。あれはそんな教育番組だった。折坂悠太『平成』を聴いた時にこの「ポンキッキ感」を察知し、記者として画策したが、もはや発起人の想いは歴史の闇に消え去ってしまう運命か・・・。
泉さんの話を聞きながら、私は日本庭園のなかでヨーダに教えを乞うルークの様だった。お互いの近況報告からコロナ禍以降の社会について考えていることを聞いていると、彼は次に「70を過ぎてから性愛の歴史について学んだんだ」と楽しそうに語り始めた。翁は学習を未だにやめておらず「知らないことがあるまま死にたくない」という感じの雰囲気なのである。
結局3時間くらい話したが、一番印象に残ったのは「今の世界は必要知識だけになってしまっている」という話題だった。ハウツーだらけの世界のなかで「本当は想像力の方が大事なんだ」と彼は言う。インタビュアらしく、敢えて「なぜですか?」と尋ねると「実用の前に『空を飛べたらいいな』とかさ」と答えが来た。彼が話しているのは夢とか空想のことである。それがないまま、やり方を求める現代に疑問を呈しているのだ。そして彼は重ねた。
「どうやったら運転できるか? 違う、運転の前にタケコプターだろ」
これが今回のタイトルである。確かに。納得とともに斜め上からの藤子不二雄だったので爆笑した。大いに笑った。多分、Z世代からしたら泉さんなんてキング・オブ・老害と呼べる年代かもしれないが、彼の話は本当に面白くて有益で、今に繋がっていて、刺激的だった。私が憧れる大人は彼の様な人だ。たとえスポットライトを浴びてなくても、好奇心を持ち続け、自分を更新し続ける。その彼が「想像力が一番大切」だと言う。
「〇〇のために××をやる」という合理的な世界観を否定してくれたことに私は感動した。想像力なしに人間はAIと渡りあうことはできない。過去の集積である人工知能に対して、人間は全てのエビデンス的な範囲を制圧されてしまうからだ。どうあがいても、いち人間が一生で勉強できる範囲は限られる。しかしAIは未来にまで手を伸ばすことができない。ブルーハーツが歌った通りで「未来は我々の手のなかにある」。そのために必要なのが想像力という切符。泉さんは話していたのはそういうことだ。私はそれに深く賛同する。彼こそ真のリベラルだ。
最後に彼は「なぜ日本人は夏至を祝わないんだろうね。でも今日はお祝いできてよかった」と言って、別れた。「夏至か・・・」と考えてみたが、正直、翁の発言のすべてを今に理解することはできない。でもまず受け止め、考えていけば、いつかは理解できるだろう。一番バッドエンドは「話を聞けなかった」というルート。恐らく私の30代中盤以降の仕事は、そこに光を当てていくことこそがひとつのテーマになるはずである。それを直感的に思う今日この頃。
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