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拉麺ポテチ都知事17「20時以降の渋谷で」

遅ればせながら、雑誌『GQ』のアスリート特集号を読んだ。この時期になかなか攻めた内容で、各インタヴューから東京五輪に懸ける選手たちの気持ちが伝わってくる。当たり前だが、彼らはやる気満々だ。「やらない方が良いかもしれない」と思ってステージに立つ音楽家がいるだろうか。そんな演奏は聴きたくないし、アスリートもそんなメンタルで勝負に臨むことはできないだろう。それについて文句を言うつもりはない。

これから「自粛を課しているのにオリンピックをやるのなら、いっそのこと好きにさせてもらうわ」という人が増えるだろう。もしかしたら「セカンド・ええじゃないか」が起こるのでは、そんなことを考える。江戸期のあれは相当な乱痴気騒ぎだったらしいし、倒幕派の陰謀だとも言われるが、インテリではない一般市民が行動したという点で、私にとっては憧憬に値する歴史だ。

1920年代のモダンガール・ムーヴメントについても同じである。なぜなら原義上のモダンガールはフェミニストに通じる「新しい女」や青踏の系譜ではなく、ギャル文化に繋がっていくからだ。日本で最初にモダンガールを定義したといわれる北沢長梧はこう書いている。

又前の時代に女権拡張論者だの、婦人参政権論者と云うやうな、其の時代の婦人を導いて行かうとする、優れた階級の婦人もあつた。然し私の茲に云うモダーン・ガールは、そんな優秀なものではない、何処にでも見出す事の出来る、町をあるいても、家庭へ這入つても、見出す事の出来る、普通の女性である。

彼等は特に優秀でもなければ、特に聡明でもない。唯絶対に自然で、気取つていないばかりである。あらゆる伝統と因習とから解放されて、自分達の魂が要求するまヽに生きようとしてゐるばかりである。


北沢長梧『モダーン・ガール』
雑誌『女性』1924(大正13)年 8月号より

「自分達の魂が要求するままに生きようとしているばかり」。そんな気配はスクランブル交差点が消灯した、20時以降の渋谷・道玄坂に表れている。都の要請に従わない店や路上飲みの若者が目立ち、驚くべきことに緊急事態宣言下にオープンした店さえある。ただよう奇妙な連帯感と高揚感は、まるで渋谷で同時多発的なフェスが開かれているかのよう。

良いオーラを出している店はShazamしたくなる小気味良い音楽や、ビルボードのヒットチューンを夜の街に響かせている。騒音を叫ぶ輩はいない。振動が体に当たる快感を思い出して無意識に体幹が動く。そういえば、昨年の緊急事態宣言中は、百合子氏のステイホームの呼び掛けだけがこだましていたが、今の道玄坂はまるで違うサウンドスケイプになっている。これにもワクワクした。

(無論、私は社会風紀を乱したい訳ではない。彼らもそれなりにコロナ禍のマナーを意識しているはずだ。それから個人として、路上へのごみ投棄なども快く思わないということは付け加えておく)

外面的なモダンガールの記号は洋装と断髪とされるが、原義に立ち返るのであれば、モダンガールとは内の在り方である。とすれば、その末裔であるギャルの定義もメイクや服装ではなく「自分達の魂が要求するままに生きようとしている」かどうかだ。

そして現代社会には男も女もない。つまり、あの夜にギャルの街・渋谷にいたのは確かに「特に優秀でもなければ、特に聡明でもない。唯絶対に自然で、気取つていない」人々だったのだろう。

粋だなあ。そんなことを考えながら、この街をクロスバイクで巡回している。

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