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(1)出口王仁三郎の短歌に親しむ 萌芽のころ|夏草のほのかに匂う朝庭に生のいのちのたのしさを思う

そもそも、なぜ「短歌?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

「日々の生き方の原点を読み考えていくこと。自分の役割と使命を果たすこと。素直に世の中を見ていくこと。この3つが何よりも大事なことなんだよね」という藤原直哉が新しい時代の対応として、ブロックチェーンと霊性とシェアを3本柱に「何か新しくやってみようか」ということで始まったコンテンツ。

シェアしながら学び合うブロックチェーン研究会
三千世界の立て替え立て直し 出口王仁三郎の勉強会

わくわくしながら企画を準備する中でも、主催者側にいる樋口が「出口王仁三郎...霊界物語...敷居が高いなぁ」と感じ、考えながら

・内側として、自分ごととして受けとめられるのか
・今回こそ、少しずつじっくりと理解を深められるようになったらいいなぁ(過去に敬遠しがち、煮詰まっちゃったため)
・そもそも王仁三郎は、“お堅い”人なのか。
・ゆっくりでも、王仁三郎や霊界物語を少しでも身近に感じられるきっかけがあったらいいなぁ

と、興味関心の赴くままに連想していました。

そんななか、6月初めに国立国会図書館で嬉しい1冊との出会いがありました。

出口王仁三郎の歌ごころ
「評釈 出口王仁三郎 名歌選」楠田敏郎著
 昭和23年(1948年)5月20日 北國新聞事業会社発行

歌人・楠田敏郎(明治23年〜昭和26年、京都府)が出口王仁三郎の和歌百首近くを選出・評釈されています。

出口王仁三郎が短歌に詠んだ光景や感情に触れ、楠田敏郎の繊細な感覚の評釈に触れ、正直で素直な気持ちが伝わってきます。

普段何気なく過ごしている風景を、どのように王仁三郎が感じていたのか、日常の中のふとした瞬間に、季節感とともに解釈の「余白」をお届けしたいと思いました。

夏草のほのかに匂う朝庭に生のいのちのたのしさを思う
 「評釈 出口王仁三郎 名歌選」51頁〜52頁より
生きていることはしあわせである。
空にうららかな日が照つておれば楽しいし、雪が降るのを見れば楽しい。
ある不幸がおいかぶさつて来れば、ちよつとへこたれるが、生きているという事実と力によつて、それを踏み越えていけるからたのしみが出て来る。
いきいきと庭に夏草が茂つている。
夏草の意欲ほどすばらしいものはないし、あの生き方ほど逞しく旺盛なものはない。緑の色をひからせ、葉を空に向けておもう存分のばしている。

作者は”ほのかに匂う”といつているが、それは受け取り方であつて、匂わないとおもえば、色だけのものだし、匂うとおもえば彼の生活力そのまま、強烈に匂うているようでもある。

その、夏草が、朝のあいだは特に鮮らしい色であたりを染めている。その中に歩み入つて行くと、着物の裾も、袖も、触れたところはみな染るかとおもうばかりである。一つの葉を撫でてみると、それは柔軟に、掌にあまえかかるようであるのに、茂りあつたのをみるとみんな強うそうである。いちばん深く繁つたまん中に入つて、そこに坐る。尻の下にも草は茂りあい、からだをうづめて茂るものである。
空を仰ぐと、まだ東の山をそんなに慣れていない陽が、はるかに小さい。それは黄なる光りを空にも、地にもふりこぼしているのに、頭の上も、肩のあたりも、まつ青であつて朝のすがやかさそのものの色である。

生きていることはいいなあとおもう。ほんとに生きているから幸いなんだよと、草の葉が囁きかける。

そのよろこびを、作者は素直に”生きのいのちたのしさ”と歌いあげた。

作者は、未来を信じ、霊界の責任を説くひとである。それにしても、なお生きの生命のよろこびを、このように歌つたのだ。それだけに、一層の強さがある。

自然を愛し芸術に親しんだ出口王仁三郎がどのように生きていたのか、何を感じて生活していたのか、言霊の真心を感じていただけたら嬉しいです。

自らの人生をより豊かに、生活と精神をより豊かに、未来志向に心愉しく。

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水無月のひととき 歴史散歩の寄り道をしました。

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