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(2)出口王仁三郎の短歌に親しむ |大輪の朝顔の花文づくえに鉢なり持て来みてをたのしむ

暦の上では立秋を迎えましたが、連日お隣りさんの朝顔が美事に咲き(小学生夏休みの風物詩です!)、元気な蝉の鳴き声も聴こえ自然と頬がゆるみます。皆さんのお近くではいかがでしょうか。

「出口王仁三郎の預言を含めて本筋・一番真ん中を読みましょう」ということで2年前の6月から隔月にて開催してきた「三千世界の立て替え立て直し・出口王仁三郎の勉強会」。藤原直哉とご縁ある皆さんと一緒に心もゆったりと学び合い語り合ってきました。

当初は、「出口王仁三郎...霊界物語...敷居が高いなぁ」と思っていた樋口(藤原情報教育研究所)ですが、ご参加くださる皆さんから勉強会にてお寄せいただくお気持ちやお考えから毎回たくさんの学びと気づきをいただき、少しずつ王仁三郎や霊界物語に親近感をもてるようになってきました。(皆さん、ありがとうございます!)

残念ながら、このご時世により今春4月からは収録版をお届けするかたちになっていますので、今月より定期的に王仁三郎の短歌もご紹介することにしました。

王仁三郎の野趣あふれる和歌にふれ、歌人・楠田敏郎評釈にふれますと、自然と穏やかな時間が流れるように思います。同じような雰囲気を感じていただけたら嬉しいです。

\出口王仁三郎の歌ごころ/
瑞能神歌 出口王仁三郎の一人百首かるた【百鏡】を昨年12月の勉強会にて愉しみましたが、自然を愛し芸術に親しんだ王仁三郎は、生涯たくさんの和歌を詠まれていました。

わたしも折にふれて、「評釈 出口王仁三郎 名歌選」楠田敏郎著(この勉強会を始める少し前に出会った作品)を読み返し、心和む再読の喜びも味わっています。

大輪の朝顔の花文づくえに鉢なり持て来みてをたのしむ
(評釈 出口王仁三郎 名歌選 18頁~19頁より)

楠田敏郎評釈:
けさ、朝顔が咲きましたよと、誰かがいつた。あとで見にいくと、なるほど、鉢からこぼれそうな大きさで咲いている、浅みどりの新鮮な感じの葉に調和した花のうつくしさが初夏の朝の光りをあつめているという明るさである。

その美しさにひかれて、仕事をする机の上に持つて来た、そして、たびたびそこへ眼を持っていつて、おのずから楽しい心になるというのが、この歌に詠まれた花と、花に寄りゆく作者の姿である。

花の美しさについてはなんにもいはず、単に“大輪の”とだけ表わし、机の上に持つて来たという動作をいつて、いかに心をひかれたかを示したので、その花の美くしかつたことをわからせ、“見てをたのしむ”と結んで、花が長く凋れずにいたことと、作者がその朝ひどくしあわせな気持ちになつていることを、讀むひとにわからせる。

王仁三郎を「巨人」と称した評論家の大宅壮一が、昭和6年(1931年)、王仁三郎にインタビューしたとき、これまでどのくらいの和歌を詠んだのかと質問すると、王仁三郎は「すっかり計算すれば五、六十万首じゃろう」と答えている。  プロムナード 歌人 出口王仁三郎   笹公人/日本経済新聞20190206

懐古趣味というよりも、心の細やかさが伝わる王仁三郎の和歌を詠みますと、どんなときでも心惹かれる表現が響きます。

歌人・楠田敏郎の評釈のおかげで、王仁三郎が物事を愛でる心がとても澄んでる方であり、“お茶目”な部分もお持ちの方であるような、少し身近な存在に感じることもあります。

最近では、現代歌人・笹公人さんが編纂された「王仁三郎歌集」にも出会いました。次の機会に、こちらもぜひご紹介していきたいと思っています。

夏草のほのかに匂う朝庭に生きのいのちのたのしさを思う
(評釈 出口王仁三郎 名歌選 51頁~19頁より)

2年前の夏に、noteにてご紹介掲載:


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