見出し画像

今日も運転しなかった 第9回

ミレニアムを迎える直前、一本の映画と出会っている。

モノクロ、パリを舞台にした恋愛もの。監督は二十三歳。アレックス三部作の輝かしい幕開け。1983年、私が幼少のころに公開していた。

映画は『ボーイ・ミーツ・ガール』という。ドニ・ラヴァン演じるアレックスという人物に、どこか親近感を持って見ていた。

音楽もほとんど鳴らない。おまけに聞いたこともないセリフ。寝落ちしない自信は果たしてなかった。ラスト近く、キッチンでポットを温めるシーンからは夢うつつの状態で見た記憶がある。長くて、退屈な映画だと思ったのだ。

十九歳の私は、この映画を撮った人物に惹かれた。映画好きなら一度は通る、「これなら書けるかも」という自意識の慣れ。ゴダールでもトリュフォーでもなく。ジェームズ・キャメロンでもなく。パリでポスター貼りのバイトをしながら短編を撮った、というエピソードもまた、かっこよく見えた。

カーチェイスや銃撃戦に慣れてしまった映画少年から、いよいよ〈青年〉になろうとしていたようだ。映画に対して「自分に近い」と思ったのも初めてだった(ピンボールは下手だけど。あのシーンも異様に長い。でもすごくいい)。具体的には、主人公の年齢、孤独感、無口な性格等、映画を取り巻く世界観が心地よかった。最初は退屈だと思ったけれど、「もう一度見たい」と声に出しても恥ずかしくなかった。

ちなみに、木曜シネマという深夜番組である。石川テレビはこの枠で『ハロウィン』『スクリーム』等を放送、田舎の映画少年にとっては見逃せるわけがなかった。提供は麻雀ポパイ(金沢市)である。私の手には牌の代わりに『ストーリーアナリスト』という一冊の本があった。

ハリウッドでのシナリオ分析講座である。プロット、キャラクター、テーマ。星の数ほどたくさんの原稿から、いかにして推薦を勝ち取るか。本を閉じて思った。映画の道に進もう、と私は決めた。

そして翌年、シナリオを学ぶために東京へ(第7回参照)。

少しでもレオス・カラックスに近づこうと、無謀な計画が始まった。

レッサーパンダの男がいる、とニュースで知ったのはその一年後のことである。

(つづく)