今日も運転しなかった 第3回

 ガラケーが鳴る。

 引っ越した翌日だったと思う。とある出版社からの返事だった。年の瀬に小説とエッセイを送っていたのである。年をまたいで聞いた結果は、「上野さんの顔が見えるから駄目」というものだった(意味が分からない)。

 食い下がる私に男性編集者はキレていた。私の文体が気に食わなかったらしい。作中、乱暴な言葉遣いをしたからであるようだ。原稿と作者を重ねて「アウト」であれば、ほとんどの映画で使用しているF××Kを書いた脚本家はどうなるのか。毎回、人を殺している「火サス」の脚本家が極悪人なわけがない。

 最後に「もっと古典に触れよう」と暖かいエールを送ってくださった。例えばシェイクスピア、映画なら黒澤明。君はもっと古き良き作品から学びなさい、という。

 この時、悔しさを通り越して呆れたわけがある。クロサワの他、有名監督の名が一切出なかったことだ。オーソン・ウェルズも、デイヴィッド・リーンも、チャップリンもバスター・キートンも、成瀬巳喜男も出してほしかった。あいにく21歳当時、私は金沢のシネモンドで『浮雲』を見ている。また、真冬に犀川大橋を歩いた末、フリッツ・ラングの『死刑執行人もまた死す』を見た。どちらも忘れ難い作品だ。そういえばニーノ・ロータの曲をアレンジしたフランシス・レイもよく聞いた。三島と谷崎潤一郎も夢中で読んだことを思い出す。

 その編集者とはそれっきり一度も話していない。

(つづく)