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牛肉を愛した偉人たち ⑲・ 北里柴三郎(上)

 2024年7月3日、20年振りに新しい紙幣が発行される予定である。日本銀行のホームページから“生まれ変わる日本銀行券”と題して広報されているのでその概要を見てみよう。今回肖像として使用される人物は渋沢栄一(一万円札)、津田梅子(五千円札)、北里きたざと柴三郎しばさぶろう(千円札)である。今回の主人公である北里柴三郎の採用理由は以下となっている。□世界で初めて破傷風の純粋培養に成功し、破傷風血清療法を確立。□ペスト菌を発見。□私立伝染病研究所、私立北里研究所を創立し、後進の育成にも尽力とある。
 以下、山崎光夫『北里柴三郎 ドンネルと呼ばれた男』(中公文庫)によりかかって書く。北里柴三郎は1953年1月29日、現・熊本県阿蘇郡小国町に生まれる。父・これのぶは庄屋を務め、温厚篤実、几帳面な性格であった。母・ていは豊後の藩士の娘で、長男の柴三郎の教育に関しては甘えを許さず、親戚の家に預けて厳しいしつけと学問の修得を依頼した。1871年(明治4年)に藩立の西洋医学所に入学し、医学の道に目覚める。1875年に23歳で上京し、東京医学校(現・東京大学医学部)へ進学するが、母親譲りの激しい気性で、在学中よく教授の論文に口を出して、大学側と折り合いが悪く、何度も留年した。32歳でドイツ留学を命じられ、ベルリン大学のローベルト・コッホに師事する。36歳の時に、破傷風菌の純粋培養に成功。37歳で破傷風菌抗毒素(免疫体)の発見、血清療法の確立をはかる。39歳、帰国し内務省に復職。芝公園内に私立伝染病研究所を設立。以上がざっと柴三郎の半生記である。それでは順を追って、それぞれの実績を追ってみることにしよう。
 世界で初めての破傷風菌の純粋培養
 『精選選版日本国語大辞典』の純粋培養の定義を見てみると① 生物のある一種類だけを分離し、他の種類を混入させない状態で培養すること。フランスのパスツールやドイツのコッホによって確立。病原体の観察などに用いる。純培養。〔稿本化学語彙(1900)〕
② 比喩的に、子どもを社会の悪い面から隔離して成育させることや、ある特定の能力だけを身につけるように育てることをいう。
 破傷風菌 Clostridium tetaniはグラム陽性の偏性嫌気性菌で芽胞を形成する。偏性嫌気性菌というのは、酸素のない環境でしか発育、生存できない細菌をいう。細菌のほとんどは通性嫌気性菌といって酸素があってもなくても増殖には影響ない菌に属している。例えば大腸菌やブドウ球菌の場合は、酸素があったほうが、発育はより旺盛だが、酸素の全くない条件下でも充分に発育する。また、酸素のある環境でしか増殖しない菌が偏性好気性菌であり、その代表がコッホが発見した結核菌。
 偏性嫌気性菌は通常、熱や乾燥に抵抗性を示す芽胞の形態で土壌や動物の排泄物中などの環境に広く分布している。芽胞も菌種によって抵抗性が異なり、ボツリヌスA型菌の芽胞は121℃、4分で死滅するが、破傷風菌の芽胞は121℃、15分の加熱でも生存する。
 細菌は生育環境から炭素源、窒素源、リン酸イオンなど生存に不可欠な栄養が少なくなると、Clostridium属やBacillus 属などは芽胞sporeと呼ばれる細胞の形態をとるようになる。染色体を凝集し、リボゾームと蛋白の一部を濃縮し、硬い皮膜でこれらを覆って生物活性を休止する。芽胞は一般的には乾燥、高温、凍結、化学物質および放射線に対してかなり耐性である。
 破傷風菌の分布
 土壌中の破傷風菌の分布に関する研究は、北里をはじめとして古くから行われ、寒冷地では破傷風菌の検出率は低いが、植物の生育に適した温暖地では一般に高いことが知られている。
 日本の破傷風研究の第一人者である海老沢功元東邦大学公衆衛生学教授の調査成績を以下に引用する。
 畑、水田、民家の庭、道路などから集めた164検体検体の82検体から破傷風菌を分離している。表層土からの破傷風菌分離の成績では、牧場よりも一般民家の庭や田畑の方が破傷風菌は容易に分離され、かつその濃度は高かった。また、意外にも表層5cm以下の地下深部よりも地表の方が圧倒的に多いという結果が得られている。
 学校および病院の土壌サンプル37件中11件(30%)から破傷風菌を分離している。
 また、人や動物の糞便からの破傷風菌の分離率では、人が201検体、陽性率0%、牛4.0~8.3%、子牛0%、馬1.0%、羊25.0%、犬2.0%という成績がある。
 破傷風は国内において人では1950年には報告患者数1,915人、死亡者数1,558人であり、致命率が高い(81.4%)感染症であった。1991年以降年間30~50人程度で推移しているが致死率は20~50%という。
 世界では毎年100万人がこの菌の感染で生命を奪われている。80%以上が主としてアフリカを中心に出生時に臍帯さいたいが破傷風菌芽胞に汚染されたために起こる新生児破傷風である。
 潜伏期間は2~50日とされ、通常5~15日に集中している。潜伏期間が短いほど予後は不良とされている。
 破傷風菌は芽胞の状態で傷口から侵入し、酸素のない環境下で発芽、栄養型となり増殖し、神経毒(テタノスパスミン)と溶血毒(テタノリジン)を産生する。菌自体は感染部位から広がることはないとされる。主要な働きをする神経毒は痙攣毒で、傷口の周辺部の末梢部神経細胞から脳や脊髄の中枢神経細胞に達し、運動抑制ニューロンに作用することで後弓反張という特徴的な強直性の全身痙攣を起こす。痙攣は通常5~30分間隔で5~10秒程度持続し、専門語では「牙関緊急がかんきんきゅう」と称される。痙攣時の力は強烈で、脊椎や四肢の骨が骨折を起こすこともあるという。破傷風は英語ではふつう「lockjaw」という破傷風特有の筋肉の緊張で顎が固定される開口障害に陥る典型的な症状名で呼ばれている。潜伏期間と同様、初発症状から痙攣の発現までの時間をonset timeといい、この時間が短いほど重症とされる。
 破傷風毒素に対しては馬がもっとも感受性が高く、牛、人、山羊、羊、兎、猿、豚、犬、猫の順に感受性がみられる。また、鳥類はほとんどが抵抗性であり、冷血動物は感受性がない。
 馬の場合は北海道を中心として毎年10~20例の発生報告がある。牛は40例前後、雄子牛に多い。国内では雄の牛は一握りの種雄牛や闘牛などを除き、100%近い数字で子牛の頃に去勢される。子牛の去勢方法は種々あるが、近年では陰嚢を特殊な輪ゴムで結紮(けっさつ)する方法がよく採られている。この場合、獣医師の指示のもとで適切な処理でおこなわれていれば問題ないが、患部が消毒の不徹底や管理失宜で破傷風菌の芽胞に汚染された場合は、通常、1~3週間の潜伏期間の後に発症する例が多い。沖縄県内でも過去にこの無血去勢が原因となった子牛の症例が相継いだ事例があり、筆者も何例か病性鑑定に遭遇し、菌も分離した。やはり特有の症状が顕れだした場合は、例え抗毒素血清を投与しても奏効そうこうしない例が多い。
 牛は食欲廃絶、嚥下困難、復囲膨満、開張姿勢(木馬様姿勢)などの破傷風特有の症状を示す。原因としては去勢の他には断尾、角折り、鼻環装着や分娩後の発症が多い。
 東京都で奇妙な集団発生
 戦争、災害以外には破傷風の集団発生はないが、1983年、東京都で奇妙な集団発生が起こった。
 医療機関で包茎、精管結紮手術に続発して7名の破傷風が発生した。原因は医療器具の消毒と手術の助手を務めた医師の婦人がまったくの素人であったことに求められた。
 診療所の入り口に捨ててあった子猫を彼女が自宅に持ち帰ったところ、前から飼っていた子持ちの親猫に拾った子猫がいじめられるので、それを段ボール箱に入れて毎日自宅と都内の診療所の間を往復していた。彼女は段ボール箱に排泄された子猫の糞便を素手で掴んで処理していた。
 このようなことを毎日平然と行っていたので、どこかの時点で機械器具の消毒不全あるいは十分に洗浄消毒していない手で手術助手を務めたため、破傷風患者の多発に至ったと考えられた。この事件では、死者が1名でも出たら刑事事件として摘発しようと警察は構えていたが7名全員助かったので、刑事事件にはならず、民事訴訟事件となり患者数人から損害賠償を求められた。

                初出:『肉牛ジャーナル』2024年6月号
 
 

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