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masa(中島正明)さん🧘‍♂️永遠に✨

「ほら、直人。瞼を閉じてごらん。観えるでしょ?僕が。そう、自由に感じたらいいんだよ、生も死も同じこと。ありのままの世界を観てごらん。」

「あなたはいつも愛されているし、守られているよ。」

Facebookを遡ること1時間。masaさんの写っている写真を探している最中、masaさんはずっと、僕の隣で、諭すように優しく語りかけてくれていた。



2015年7月27日。
あの夏の出会いから約2年間のyoga業界での貴重な人生体験。masaさんと過ごした貴重な経験。間違いなく、僕の人生の大きなターニングポイントの一つになったmasaさんとの出会い。

その時から今、ちょうど6年、改めて振り返って、僕が感じたことを、今ここに、何も考えずに、ただひたすらmasaさんが愛した瞑想のように、文字を打ってみることにした。


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▼ 突然の訃報
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2021年7月17日、早朝。携帯をチェックすると、友人から「masaさん…」とメールが来ていた。


えっ。。。。。???


2021年7月16日。

masaさん(中島正明)が亡くなった。

急性心不全とのことだった。


そういえば、メールをくれた大阪の友人もmasaさんからのご縁だった。

どこか信じられないというか、上の空というか、、涙が出ずに、やけに冷静になっている自分に気づいた。

この【気づく】ということはmasaさんが教えてくれたことの中でもとても大切なキーワードだ。そして、それを自然と実践していることに気づいた。


何をしよう!ということも起きなかった。無気力というわけではない。

そう、だって僕は、5.6年前にyogaの業界を離れ、それより前にmasaさんとの縁を絶っていたのだ。だから、亡くなったと聞いても、「どうせもう会うこともなかったろうし、何も変わらないなー」そんな感じに思った。

けど、昨日1日ぼんやりと、そう、何かに向き合って真剣に考えるというよりも、どこか俯瞰的に、冷静に、ゆっくりのんびりとmasaさんのこと、あの夏のことを感じていたんだと思う。

そして、夜になって、そうだ、書こう!と思った。


masaさんと一緒に活動していた1年ちょっと。
masaさんの魅力に触れ、大好きになって、すぐスタッフの一員として活動していた時間とそこで感じたこと。

片時も忘れたことのない、僕の人生の思い出たち。そんな思い出を振り返ってみる貴重な時間をきっと用意してくれているんだろうなぁと【勝手に解釈】(あっ、これもmasaさんが教えてくれた般若心経に出でくる【観自在】ってことだ)して、パソコンの前に座った。


久しぶりに長い文章を書いてみようと思った。

書けるかなぁ、支離滅裂で変な文章にならないかなぁ。。

そう思った矢先、masaさんが、「大丈夫だよ、直人。直人なら書けるよ。だって僕の弟子でしょ。弟子ってことは師の一部、同じってことだよ。安心してごらん、信じてごらん。大丈夫、直人はいつだって愛されているから。」



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▼ あの夏の出会い
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masaさんはとにかく数字に強かった。

だから、僕も正確に、masaさんと出逢った日を遡ることに決めた。


携帯の写真フォルダーを探しても、一枚も出てこなかった写真。そうだよな、もう何年も前のことだから、携帯も前のやつかもっと前のやつだもんな、と切り替え、ただひたすらFacebookをスクロールした。

尋常なないくらいの写真とともに、尋常じゃないくらいの大勢で写っている写真ばかり出てきた。




僕がmasaさんと出会った日。

2015年7月27日。

そう、ちょうど見事に、今から6年ほど前の出来事だった。



yogaをやり始めた友人が、yogaじゃなくてお話会みたいなのに誘われたらしく、一緒に行こう!と誘われた。

その当時の僕は、27-29歳までの鬱の期間を抜け、30.31歳はカウンセリング業界で活動をして、その後改めてビジネスを一から学ぼうと思ってコミュニティを作っていた時だった。

そんな時だから、まぁ新しい人との出会い、新しい場所、新しい体験は大好きなので、そんな僕は断る理由が1mmもなく、白金高輪の龍源寺に向かっていた。


寺?そう思いながら、奥にある会場に入ったら、そんなに広くないスペースに人がまぁまぁ、ざっと20人くらいいた。

そして、受付をしようと思ったら、、「masaさーん、なんか、オモシロイのが来たよーー!」と。。この人、凄いこと言うなぁ。。。その後、一緒に全国を回って活動するkayoさんとの出会い、そんな出会いも全ては、masaさんが当時主宰していた『ダルマトーク』と言うものだった。


2時間、めっちゃ頭がシューシュー音を立てて、脳みそがフル回転している自分がいた。

高さが1mくらいの小さなホワイトボードを左手で持ちながら、右手のペンで文字を書く。書いている分量に対しての話の量が尋常じゃないくらい多くて早くて、、、メモをするときは講師の喋っている言葉も全てメモするんだけど完全に追いつかなかった。

masaさん『ダルマトーク』。初めてのmasaさん。

内容の奥深さと本質を突いてくる鋭さを感じたけど、何よりも、その場の空気、あたたかさと優しさ、愛に満ちている空間を好きになった。



気づいたら、その日から毎週のようにダルマトークに参加して、いや1週間後には(ちょっとこの辺の記憶が定かじゃないけど、とにかく1.2回しか参加していないのに)スタッフとしての参加に切り替わっていた。

もちろん、2回目からは、そのとき一緒に活動していた友人たちのことも「とにかくオモシロイのがあるから、一緒に行こう!」と、毎回何人も誘って、一緒に行っていた。


『ダルマトーク』が終わってから、アフターという名目で、近くの「サルバトーレ」で飲むと言うこと。

楽しそうだし、そのままの流れで参加。もうすでにmasaさんに惹かれ始めていたのかもしれない。

masaさんはニコニコしながら、仕切るわけじゃなく、参加してくれた人の話、悩み相談でもなんでも、お話かいの時と変わらず、優しく包むような感じで、聴いてあげていた。

僕もなんだか知らないけど、楽しかった。気づくと写真を撮られていて、翌日、友人を誘った方のFacebookに上がっていた。そこには満面の笑みの自分がいた。久しぶりの感覚だった。



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▼ リトリート?なにそれ?
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「この人だ!」ってセンサー、人をチョイスするセンスが僕にはあると思っている。

そして、そんな人と出会うと一気に距離を縮める。どうせなら、せっかく、尊敬できる人なんだから、最短距離で、その人の最深部まで行きたい。そして、そこから学び取りたい。そんな風に僕は考えている。

もちろん、masaさんもそんな尊敬する師の一人。

『ダルマトーク』はyogaをしないで、yogaはyogaで教えている、と言うか日本トップの人。



そんな人が身近にいて、スタッフもさせてもらっているから、フィジカルな方のyogaも学んでいけば、かなりのところに行けたかもしれない(いや、確実にイケタ)けど、当時の僕は、鬱の2年間の自信喪失からか、突き抜ける自分になりきれていない感覚を得ていた。

が、こんなにオモシロイ、興味を湧いたmasaさんの活動のサポートというとおこがましいけど、いいものは一人でも多くの人に伝えたい、シェアしたい、そう思うので、それをしていくことにした。



そんな中、リトリートと言う名の合宿のようなものがあるのこと。

友達も参加するし、内容なんて全くわからなかったけど、masaさんがやるってことには、こと『ダルマトーク』関連には、全て参加することに決めていた。


そして、そのリトリート。

いつだったろう、、
出会って1ヶ月?8月の夏休み期間だったかなぁとも思う。

本当に人の記憶は曖昧だ。

記憶なんて、どんどん勝手に書き換わっていく。書き換えていく。
そう、これもまたmasaさんが言っていたなぁ、「過去は変えられる」と。


masaさんの1泊2日のリトリートは僕の人生を変える体験となった。



20人ほどの参加者と、2日目にかけて朝4時ごろまで初日から向き合うmasaさん。

参加者全員、みんな色々な人生を歩んできて、喜怒哀楽、様々な苦しい体験を、それぞれのレベル感でしてきている。(この参加者が、と言うより、人生はそういうものだと思う。)

その参加者の心の奥底というか、ど真ん中というか、芯の部分と本気で向き合うmasaさん。

そして僕自身もその核心に触れたとき、、涙が流れていた。


中一の時、12歳で母を亡くした僕の心が書き換えられた瞬間だった。

ずっと、いないと思っていたかーちゃん。

ずっと、「死んでくれて、ありがとう」と思っていた。(亡くなった時の生命保険金で僕は高校から私立、早稲田に通うことができるようになり、生活費もそこから捻出されていたから、かーちゃんには、変に、歪な感謝をしていた。)


そんな僕の心の真ん中にあったもの。

「かーちゃん、ずっと、いてくれて、ありがとう」

そう、いないと思っていたかーちゃんがずっと、いてくれたのだ。

今でも思い出す、この時のハートの、心の真ん中の温かさ。

ここに触れさせてくれたmasaさん、改めて、ありがとうございます。


そして、またスタッフだから、ではなく、一人のダルマファンとして、masaさんのファンにすっかりなってしまった。そんなリトリートだった。




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▼ 全国行脚、お伴します!
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masaさんとスタッフのみんなでmasaさん家で打ち合わせをしたり、プライベートでも誘ってくれるようになって、本当に心がほぐれていっていたんだなぁ、楽しい時間だったなぁと、写真を見ていて思った。


あの頃から、ちょうど6年が経ったけど、僕は全然変わってないなぁ、、、そう思った。

masaさんとは離れ離れになってしまったけど、コロナ化になった時からオンラインでのyoga
講座、オンラインサロンなど、、相変わらず突っ走っていて、一人のビジネスマンとして、流石だなぁと思っていた。

メルマガもずっと来ていて、たまに、読んでました。

進化しているけど、根っこは変わらない。

まっすぐに、愛を伝え、実践している、そんなmasaさんでした。



今、また、この瞬間も【時間も空間も自由に行き来して】いる。
これもmasaさんが教えてくれたこと。

もう完全に、僕の一部はmasaさんで出来ている。
そう思いながら、また当時のことを振り返ろうと思う。



masaさんは全国的で、日本でも有数のトップのyogaの先生だったので、yogaとセットで『ダルマトーク』もすることにして、一緒に全国各地へお供させていただくことになった。

振り返ると、、大阪、京都、名古屋、北九州、大分、新潟、富山、Hawaiなどなどなど、、、、本当に数えきれないくらい各地に同行させてもらって、数えきれないくらいたくさんの人との出会い、人に囲まれる経験をさせてくれたmasaさん。

写真、振り返ってみてみると、やばいっすよ、これ!

どんだけ人いるんんですか!



でも、ほんと、楽しかったですね!!


当時はファッションのコンサルティング、買物同行なども僕はやっていたので、yogaの時はかっこいいmasaさんをプライベートでも親しみやすいイケてる人にしてあげたい、そう思って、専属のスタイリストとして年間契約もしてくれた。

僕のことを一人のビジネスマンとして認めてくれた、そんな気がした。

一緒に愛車のポルシェにも載せてくれた。一緒に買い物にも出かけた。

僕のアドバイスを素直に受け入れてくれて、コーディネートした服を毎日のように着てくれて、離れてしまってからも一押ししていた時計は変わらず付けてくれていた。

そんなmasaさんを、どこかでずっと、やっぱり消えることはない経験だったので、ふとしたタイミングで想っていました。
(なんか書きながら、突然のタイミングで、masaさんと話をしているようになるのが不思議な感覚。ご容赦ください。)


たくさん過ぎる人に出会わせてもらって、ヨガフェスタのような年に一度の祭典でも、200人くらいの前に立たせてくれたり、紹介してくれたり、、掛け替えのない夢のような時間を過ごしていたんだなぁって思いました。

そして、その人たち、それぞれみんな、違う環境、違う人生を歩んできたのだけど、その真ん中には、【愛】が満ち溢れているということをいつも強く感じさせてくれていました。



人を信じてみよう。

どこか、自然とそう思えるようになってきていました。

そして、そんな中、もっとmasaさんの力になりたい。

そんな思いから『コダルマトーク』が始まることになりました。



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▼ もっと、たくさんの人に届けたい。けど、
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masaさんは話し出すとノンストップ。止まらない。
そして、知識の量が爆発的に多い。というかインプットをしまっているので、吐き出さないと壊れてしまうんだと思った。難しい言葉も多い(言葉というより概念や物理法則、量子力学の話にまで及ぶ)から、女性が多いyoga業界では、難解だろうなぁと、アンケートの感想からも思っていた。

僕自身、心理学、カウンセリングの仕事もしていたこともあったので、その師匠、先生はとにかく誰にでもわかりやすい言葉で伝えるのが得意な方で、その影響も受けている僕は、masaさんの『ダルマトーク』の簡易版、子供のような『コダルマトーク(コは、Coで、子でもあるんだけど、共有するって意味にCoも込められていたりするんだよ)』をやってみたい、やってみようということになった。

コダルマからダルマ、リトリートへと流れる道筋を立て、僕からmasaさんにバトンを繋いで、循環するイメージ、そんなイメージを綺麗に持てた。


masaさんの最強の二番手、として影から支えようとしてた僕が、たくさんの人の出会いの中から、少しずつ自信を取り戻し、一緒にスタッフをしていたkayoさんの後押しもあって、チャレンジしてみることに決めた。


今でも鮮明に覚えているなぁ。。

コダルマトークの初回。


kayoさんのヨガの後に僕のお話の時間。

masaさんの真似をして、オープニングの誘導トークをしてみようと思ったら、、、

できないできない!自分でも笑っちゃう感じ!

かなりの脇汗で、全然うまくできていないのも自分でも分かった。

参加してくれたみんなが優しく声かけてくれたけど、なんだか駄目な自分が目についた。


けど、それでもうやめよう、自信がなくなった。って気が全くしなかった。

そう、僕は、その場所にはいないけどmasaさんのエネルギーによって守られていたんだ、見守っていてくれていたんだと思う。



何回も何回も、各地でコダルマをさせていただいているうちに、自分に向いていた矢印(うまく喋れているかなぁといったように自分に意識を集中させてしまうこと)を、参加してくれている人に向けれるようになっている瞬間があることに気づいた。

その時から、masaさんのように、もちろん体系だてられているのでど、その場の、その人たちのエネルギー、感覚を大事にしながら、話す瞑想のように、心で感じるままに、自由に人前でも話す。

そんなことが出来始めていたのかもしれなかった。

人前で話すことが、楽しくなっていた。



でも、少しずつ、masaさんとの距離が開いてきてしまった(そのように感じた)のもちょうど、そのくらいからだったのかもしれない。


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▼ 離れていく時間、変わらない思い
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人は、欠乏するのもを埋めたい、そう思う生き物である。

と同時に、良かったり、嬉しかったり、感動したものを分かち合いたい、そんなエネルギーも持っていると思う。

どちらも人の感情で、良いも悪いもないけど、いろんな人のその時々の状況で、どっちに比重が傾いているかの違いはある。


masaさんは、色んな能力開発やビジネスマインドをとにかく吸収、実践、シェアをしまくる人だった。

睡眠時間も少なく、でも超回復、のような能力もあり(会わなくなってからも更に磨きをかけまくっていたからこの5年くらいの正確なことはわからないけど、とにかく進化はしまくっていたと思う。)、こんなにも早いスピードで生きていて、どこか生き急いでいる感を感じていた。

でもそれは決してネガティヴなことではなく、本気でたくさんの人の人生に責任を持って生き、yogaを通じて愛を伝えるためには、自分が全速力で走る(そんなことをしよう!と意識しているわけではなく、自然と、それはもう呼吸をするかのように無意識にやっていたのがmasaさんだと思う。)、ただそれを、ただそれだけをやっていたんだと思う。



人それぞれの人生のスピードとリズムの中で、人と人とが出会い、関係を深め、そして出会いがあったら別れもある。(死というものがある限り、別れからは逃れることが出来ない)


僕とmasaさんは、出会ってから1年ちょっとで少しずつすれ違って、それぞれのステージに向かっていったんだと思う。

正確にいうと、masaさんは同じステージで、どんどんレベルアップしていっていた。
僕は、、、、まだまだ道半ば。未来に向けて、今は宅建の勉強中(笑)



年始にやった東京タワーの麓の『Tango』でやった新年ダルマトーク、物凄かったですね!自分たちで一から企画して、masaさんのエネルギーでやったフェスのような感じに思ってました。

楽しかったっす!


って、masaさんはいつも、本当にいつもたくさんの人に囲まれて、愛されていましたね。


そして、その愛を周りにも分け与えていましたね。

僕もたくさん受け取りました。

今でも、今までのmasaさんと出会った6年前に始まったyoga業界との出会いでの影響を感じています。



もう5年くらい会っていないし、生きていてももうお会いすることはなかったのかもしれませんね。

だから、なんか、、、正直、寂しくないです!

こうやって、5年ぶりくらいに、大切な思い出を振り返ることが出来て、masaさんといっぱい喋って、いっぱい近くに感じて、、

そう、masaさんは、僕のかーちゃんと同じく、僕の中に生き続けてくれています。

いつも与えてくれるmasaさん。

与えてくれたものを、これから他の人に与えていけるような人間に僕もなっていきます。


僕もいつ死ぬか分からないけど、まだ何も成し遂げていないので、死なせてくれないと思います。


天国(あるんですかね?masaさん。物理学や量子力学、天文学などの学問を超えて、masaさんが実際に観た景色をまた教えてください。)で、またあの高い身長と長い腕で上方からハグしてください。


出会えて良かったです。

ありがとうございました。

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