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能登半島災害調査への同行から感じること

この週末に能登半島に災害調査のために訪れた。
結果から話すと、被害は想像以上のものだった。

震度7、気象庁の公開している震度階の最上位の震度を意味する。
能登半島一体、震度6弱〜7程度の強震動が襲った。

災害調査一日目のルート

災害調査一日目では以下のルートを回った。
内灘町→かほく市→黒島→鹿磯漁港→深見漁港→皆月漁港→穴水町→一ノ瀬町→輪島市。

何も地形地質、地盤条件などから大きな地震動を伴うことで発生した地震災害といえる。具体的には、液状化による建物・道路被害、海岸隆起による漁港の干上がり、斜面崩壊による住宅被害、土石流による住宅被害、火災・ビル転倒・住宅被害、など。

無惨な状況である。
斜面崩壊の発生箇所はもはや数え切れず、大なり小なり地震によって切り崩された。
こうして塞がれた道路により、半島自体に混乱を生じた。

輪島朝市は全焼。文化、経済、石川県の起点が失われた。
今回の災害調査で最も深刻に感じたのは、漁港の隆起による干上がりと朝一の全焼、すなはち、漁業への影響、である。

輪島市には海辺という民宿があり、二食付きで泊まらせてくれた。
話を聞くと我々が食事付きの宿泊を再開して初めての客だったということだ。

災害調査二日目のルート

二日目は輪島市の海辺の散歩から始まった。輪島市の港は美しかった。
二日目のルートは
輪島市→珠洲市若山町→珠洲市海岸→珠洲市正院町→津幡町緑ヶ丘→石川高専→北陵高校→田上町

地震断層、海岸隆起、液状化被害、盛土造成地被害、盛土被害、などである。
津幡町以降は震度5弱程度と考えられ、この程度で生じる規模とは想像しづらい変状が散見された。

原因にあるのは、造成地と近傍の排水である。
盛土は土でできている。土は不均質なものの強度に期待ができる材料である。その土でも地震時や豪雨時にどうしても変状しやすい。当然、水が溜まっているとよくないし、地震を受けることもよくない。しかし、これらは避けられず自然と排水を適切に処理することが求められる。のだが、これが簡単ではないのである。

正院町はゴーストタウンのようになっているふうにも感じた。
地震災害は時に町の様相を一変させてしまう。
怖いのはその災害で生きる望みや前向きな心を折ってしまうこと。

ハードのインフラ整備も前向きな人格者があって進むものである。が、
そうした地域で始動する者自体の心が折られていては進むものも進まない、当然のことだ。

わたし自身、この2日間の災害調査を経て心が折れそうになることもあった。
それは、わたしが地盤の仕事に携わっていて、これほどまで地震という営力に負けた、経験(それを目の当たりにした経験)がはじめてだったからだ。
住宅への被害は軽症でも、住民が撤退して街がゴーストタウンとなれば機能停止。
斜面崩壊の大量発生。土石流。
能登半島は一日にして数m海岸側で隆起し、その漁港としての機能を失った。
こんな半島を丸呑みしてしまうようなカオスが一日の間に発生してしまうことを誰が想像しただろうか。

冒頭に戻るが被害は想像以上であった。
ここから学ぶ知見、技術者の成長が想像以上でなければ落とし前は付けられない。
そして技術者だけでなく、政治家、経営者、地域住民、官僚、あらゆる主体がこの震災から学び、日本の経済の継続に資する具体的な構想を共有し、それを全国民が実践していく必要があるだろう。

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