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【日記】地平線が人を起立させた〜アフォーダンス理論と比較解剖学〜

アフォーダンス理論については前にも触れたことがありますが、ここでもその考え方の重要性について考えてみたいと思います。

アフォーダンス理論については、簡単にいうと「僕らの行動の主体を自分ではなく環境にする」というものです。

取手が僕らの手を誘導して、持ち方ら手を伸ばすという行為を行わせているという考え方です。意思が先か環境からの誘導が先かという話でもありますね。

結局はどっちもということだと思います。呼吸や表情筋の自律神経支配と体性神経支配の両方が支配しているという感覚と近いのでしょう。

つまり、僕らは意思でも動くし、環境からの誘導でも動くということでしょうね。ただ、この環境から誘導されているという考え方は、人は自分の意思で体を制御しているのだという若干おごりに近いような意思優位な考え方に対するアンチテーゼとしてはとても意味があると思っています。

そして、前頭葉が進化の中で後発であるように、意思というのも後からできた新しい機能であると言えます。ですから、まずは反射や環境への対応という形で身体は進化し、そして前頭葉の発達とともに意思という自我の形成が起こり、私たち人は最近はエゴが優位な考え方や生き方をしているのだと思います。

さて、エゴが支配している社会概念の中で、アンチテーゼとしての役割としてアフォーダンス理論を捉えてみると、まさに今の社会問題や、様々な不調が環境要因によってもたらされてしまっていることに気づきます。

例えば、私たち直立姿勢は、遠くを見渡すのに有利に働いています。ミーアキャットもプレーリードッグも二足で立ちますが、それは天敵を警戒して視野を広く得るためです。視野が広いというのは獲物を探すという利点もあります。ある時期一世風靡した「襟巻きとかげ」はそのために立って走ります。

つまり、進化で獲得したその機能は遠くを見るためとも言えます。それが現代社会はどうでしょうか?ビルの中に押し込められ、全てが近視化しています。視線も下を見る事が多く、それによって不良姿勢が起こり、多くの障害が惹起されています。

僕ら人類は地平線を見ていたでしょう。でも今地平線を都市で見ることはできません。宣伝広告に支配されたビルの壁しか見れないのです。

地平線はまた僕らを前に前に進ませました。森にいた時から比べれば格段に前方推進というロコモーションに特化していきました。それはやがて走ることに繋がりました。

走るということは股関節を伸展させ、足は踵をあげて爪先立ちになることを指します。こうやって、人の特徴である足のアーチと、股関節の伸展などが形成されていきます。

では現代はどうでしょう、、、。

歩くことは極端に減少し、移動はもっぱら自転車、車、電車、飛行機、、、。走ることはもっと減っているかもしれません。

ロコモーションという動物にとって一番大切な運動様式を人は捨てつつあります。それに起因する機能低下に関しては枚挙にいとまがつきません。

このように、アフォーダンス理論と比較解剖学を組み合わせると、現代の問題点がくっきりと浮かび上がってきます。つまりは、私たちの現代社会の環境は、進化で獲得した機能と不適合をきたしているということです。そこを個人の努力が足りないとか、ヘルスリテラシーが未成熟だと言っても僕は議論がずれているのではないかと思ってしまうのです。

もっとヒトらしくいられる社会環境を作っていくことこそが僕は多くの障害を減らしていくための道ではないかなと思っています。

比較解剖学についてはこちらの記事も参考にしてみて下さい。


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