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【ヨガ日記】「特別な存在」の対象を変えると幸せになる

多くの方は、無意識に「有名で特別な存在」というもの憧れています。

特別な存在は例えば、芸能人、モデル、アスリート、俳優、ミュージシャンなどです。そういう方々は注目の的になり、大きな影響力を持ちます。ニュースの話題はだいたい天気と政治、事件を除けば、スポーツ、芸能で成り立っています。それくらい、人々が関心を示すもの、それが有名で特別な人たちです。

そして、一般の人たちは、そういう特別な人達に憧れを持ち、自分もそんなふうになりたいという欲望を持ちます。経済活動が、そういう欲望を上手に使っているのは、CMを見ればよく分かります。

さて、「憧れ」という欲望は別に悪いことではありませんし、そういう「憧れ」が子ども達の夢を作ります。スポーツなどはまさに夢を売っている仕事でもあります。

①有名で特別な存在に憧れる→
②有名で特別な存在には価値があり、特別な存在になれば幸せになれる→
③有名で特別な存在になるために努力する→

有名で特別な存在になろうと努力するまではいいでしょう。そうやってプロスポーツプレーヤーになっていくのです。しかし、そこでは競争が待っています。運もあるでしょう。そしてプロになれる人はいいですが、実際はなれない人がほとんどです。

では有名で特別な存在になれなかったら幸せになれないのでしょうか?

ここで、「特別な」という対象について考えてみたいと思います。対象というのはつまり、「誰にとって特別な存在なのか?」ということです。有名で特別なというのは、「多くの人にとって」の特別ということです。

ある意味不特定多数の人にとって特別ということです。では、それがもっと小さい場合はどうでしょうか?「僕にとって君は特別な存在なんだ。」これは、有名な特別な存在と比べて価値は小さいのでしょうか?

そうではないですよね。つまり、漠然とした特別な存在になりたいという願望、欲求もその対象を明確にすれば何を大切にすべきかが見えてきます。親にとって子どもは、当然特別な存在です。別に不特定多数の人に特別と思われなくても、特別です。そういう親子関係は幸せでしょう。

でももし、親が有名にならなければ、有名な大学に行かなければ、有名な会社に入らなければあなたは特別な存在ではないというメッセージを子どもに与えたとしたら、なんか寂しいですよね。幸せが遠のいて行きそうです、、、。

有名な人だから好きになるということもないでしょう。有名な会社に勤めているから好きというのも変ですね。逆に言えば、自分という存在は、有名であれば幸せになるということでもありません。有名だけど自ら命を絶つ方もいます。有名ならば幸せなはずではないでしょうか?

自分を着飾る、とにかく他者からよく見られようとする、注目を浴びたい、そういうことは自分を特別な存在に仕立て上げようとする、欲望に駆られた対象のいない虚構です。

自分は誰にとって特別でありたいのか?自分にとって誰が特別な存在なのか?

「2次元に恋いする」という表現が一時期流行りましたが、虚構に生きている方も多いでしょう。ディズニーやアニメがそうであるように、虚構にも救いや癒しもあります。イマジネーションは人の創造性の良い面でもあります。ですから、一概によくないとは言えませんが、でもずっと引きこもって想像の世界で生きていることはやはり健康的ではありません。

自分にとって特別な存在を見つけられれば良いですね。また、自分も大勢でなくてもある人にとって即別な存在であれば十分幸せなのだと思います。ちなみに、その対象は家族や恋人だけである必要はないでしょう。友人、同僚、隣人、ペット、自然、含めてお互いに特別な存在であれば、そこに相互承認と慈愛による幸せがあると思います。

ちなみに、ヨガなどでは宇宙と一体化すると言います。宇宙にとって自分が特別、自分にとって宇宙が特別という関係は、完全なる幸せとも言えますね。幸せ最強!という感じ。ちょっと行き過ぎな気もしますが、、、(笑)

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