徳島バイゴマ探訪記②[ベーゴマ考11]
駄菓子屋は閉まっていたが、
駄菓子屋の卸は空いている
そうおもって、問屋街へレッツゴー
お店にいはったおばあちゃんにきいたら
そんな昔のことは忘れた
と一蹴w
おくから出てきはった
息子さんと奥様にご対応いただきました。
O商店(玩具卸・戦後創業)
・今の68歳〜70歳くらいの人たちがやってた
・ワッシャとか蝋つけて、重さを増した
・飴で接着した
・少しヤンチャな人たちがやってた、半端な感じでは入れない
・学校が禁止してたわけではないが、やってはいけない雰囲気はあった
・コンクリートで削った。
・巻は2種類あった
K玩具(戦前よりつづく玩具店)
おばあさまと、お母さんにご対応いただきました。
・二軒屋というところに鋳造所があって、そこがつくっていた。(カンカンと呼ばれる大きな体重計を鋳造のメインとしていた。名所不明)
・お見せした、徳島バイより一回り大きい
・戦前からバイはあって扱っていた
・よう売れた
・形はさまざまで六角のものもあった
M電気(地域の歴史に詳しい)
社長さんS24年生まれ
・中学校から高校でやっていた
・バイのテッペンに結び目を置き、一周してもう一つの目とひっかけて逆巻き(男巻と思われる)
・四角の箱にゴザ
・角付けをした
・チンと呼ばれる低いやつがあった
・強かったから、むっちゃ持ってた。高校でバイを卒業するときに道路で全部ばら撒いてきたw
そして、
この社長さんに
徳島の鋳物の重鎮さんに電話したろかといわれる
その電話で驚きのひとことが!
その3につづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?