伏見地名巡り
『連れと伏見と歴史と地名』
石川さんという漢がいる
多分児童館仲間でもっとも
歴史について語れる存在だ。
愛媛に行った時は
講師だった2人して
終了後ダッシュで
共に村上水軍にどっぷり浸かりながら
無人島を探訪した。
昨日、神戸にいることを知ったから
半無理矢理??
「ぶらタモリ的、ブラ石川金坂」
念願を叶えにいく。
伏見の地名巡り。
京都伏見は日本酒の町であり、
寺田屋や土佐藩邸など幕末の舞台であり、
豊臣政権の中枢だった場所だ。
戦国期の有名どころの武将の屋敷跡が
今の地名としてことごとく名残がのこる
古地図を片手にスタンプラリー感
全体の現在の地域名を「桃山」と呼ぶ。
海宝寺は伊達家の敷地内にたてられ
政宗公が植えた「木斛」の古木が残る。
住職の話では、
現在のJR線は明治の終わり
元々の計画ではもう少し西に敷く
予定であったが
現在の位置の側に本願寺の別邸があり、
本願寺側が駅建設の半額を出すことで
いまの位置に敷かれた。
その際に、駅名をお金出したから
決めさせろいうて、
本願寺の先祖が、政府の指示で現在の伏見城山付近に木々を植樹された際に桃の木を植えた記録があったことから
『桃山』と新しく名付けたそうな。
大正時代に歴史の区切りを設定した時
安土伏見時代などの候補があったが
徳川家の末裔が『伏見』と言う名前は気に食わないと言う理由で、近代につけられた「ももやま」が採用され安土桃山時代となった。
だいぶ面白い
今回ブラ石川金坂で巡った伏見の町をみてみよう。
すげーまわったw
18箇所
まわりながら
当時豊臣に近い存在の武将の屋敷は
伏見の城の入り口に近い感じなんやろかとか
ここ仲悪いから
離れとるんかね
とか
長宗我部家跡に
滅ぼされた側の苗字の表札があることや
石田さんは三成の末裔なんじゃなかろうかとか
いろいろ考えてたのしかった。
しかし基本
信長の野望の数値ベースで
考えるから
有名じゃない武将しらん
最後の村上町は伏見の酒蔵になっていた。
近くの児童館に自分がいたなら
無駄に九鬼家の跡の地域と
イカダ作って競争して、
水軍対決したい。
良い時間でした。
石川さん付き合ってもろてありがとー
宇和島城いくぞー!
岡豊城もいくぞー!
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