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どんぱっぱ?グリンピース?戦争?(じゃんけん遊び)

だいぶ前に西宮のアクタに
たまたま行って
1冊の本を手に取った。

加古里子先生の
「日本伝承のあそび読本」である
昭和41年発行

加古里子先生は
「からすのパンやさん」や
「だるまちゃんとてんぐちゃん」などの
名作で知られるが
様々な研究家としてもしられる。

出身が越前国高村
現在の越前市
武生インターの北西付近である

わたしは
おなじ武生の仁愛大の非常勤であったため
勝手に親近感がある

さて、この本を手に読み進めると
背表紙に新聞の切り抜きがはさんであった
購入者がかつて切り抜いた
加古先生のエッセイのようだ。

昭和44年2月1日(土)毎日新聞

記事の内容は
「世相をうつすジャンケンポン」

通常のジャンケン(石拳)
の呼び方
グー・チョキ・パーの呼び方ではなく

ジャンケン遊びのなかでは
呼び方が変化して遊ぶものがある。

わかりやすい例をあげると

私たちぐらいの世代であれば
「戦争」
「グリンピース」
「どんちっち」
と呼ばれていたものもそうである

とりあえず
思い出してもらうために
「グリンピース」で説明しよう。

①「グリンピー」といいながらおたがいに手を叩き「ス」の所で、ジャンケンのいずれかを出す。
②ジャンケンでいう勝った方から
グーは「グリン」
パーは「パリン」
チョキは「チョリン」
の呼び名で、リズムに合わせて変化させて行く。

※グーで勝った場合
グリン・グリン・チョリン
(グー・グー・チョキ)

といった具合である。

③相手が勝てば相手がそのリズムで変化させる
④両方とも揃ったら、先に「ドン」と言った方が勝ち

……なんと説明しにくいんだこの遊び。

あの掛け声は戦前から

さて、いちどジャンケンの呼び方の話に戻す。
加古先生の新聞記事によると
まずは、
グー・チョキ・パーを今も階段で使うあの呼び方に変化した。

「グリコ・チョコレート・パイナツプル」
ここでいう
グリコはあのゴールテープを切るおっさんの柄の「グリコ」であり
ゴールインマークと呼ばれる
戦前はかなり怖い顔をしている
けど、こどもたちの認知度は高かったわけだ。

はじめ顔怖すぎる件

「パイナップル」
は当時新しい甘味菓子だった
新高ドロップのパイナップル味のことを指す。
ここでいう新高は当時日本で最高峰であった台湾の新高山のことだ

「チョコレート」は当時まだ高級品であった
銀紙につつまれた板チョコをさしている。

この
グリコ・パイナツプル・チヨコレイト
は今もなお、階段で
「グリコ」しよ!
と呼ばれ使われるが、なぜパイナップルなのかとかは今の子はしらないであろう。
つまり当時のお菓子の三種の神器であったわけだ。

クロベエ・ベティ・チョビスケ

戦前はジャンケン遊びの中に
当時の流行も組み込まれた

「クロベエ」
は夫人倶楽部に連載された「凸凹黒兵衛」ノラクロで有名な田河水泡先生の漫画の主人公だそうだ。これはグーだろう

1933~1936年 凸凹黒兵衛


「ベティ」は
ヤンキーガールを象徴したマンガ映画のヒロイン、ベティ・ブープである
これは「パー」にあたるのであろう。


「チョビ助」は
大阪放送局JOBK夕方6時から放送された
ラジオの人気番組
「チョビ助漫遊記」の主人公から取ったものだ。これはチョキのことだろう。

郡長さん・班長さん・町長さん


国体明微
※日本は天皇の統治する国家という考え方
時局認識
防空演習
という言葉が叫ばれ、戦争の足音がこどもたちにも聞こえてくる。

こどもたちは
郡長(グー)班長(パー)町長(チョキ)
という使い方をしていたようだ。

ばれたら
しばかれそうな気がする

そもそも
みんなで協力するときの
郡長・班長・町長がたたかったらあかん



戦争「軍艦・沈没・ハワイ」

昭和16年太平洋戦争がはじまると
ジャンケンは
軍艦・(朝鮮)沈没・ハワイ
となった。

私も普通に遊んでいたが
なぜ「ハワイ」なのか
なぜ「朝鮮」なのか
何も考えたこともなかった。
ただただ
グー・チョキ・パーに語呂が近いからだと思っていた。

多くの差別用語もそうであるが
意味を知らないまま子どもたちがつかっていたこともおおくあると思う。
その当時は
大人も普通につかっていたのを聞いていたからだとおもわれる。


敗戦「グッドバイ・ハロー・ジープ」

戦争にまけると
ジャンケンも変わり
グッドバイ・ハロー・ジープというものが出てきた。
このへんは、進駐軍がはいっている
地域での変遷であろう。


戦後「どんぱっぱ・グリンピース」

私が小さい頃でさえ
「戦争→軍艦・朝鮮・ハワイ」という遊びはまだあった。
これと
「グリンピース→グリン・チョリン・パリン」
をどっちもしていた。

どうも
関東側は「グリンピース」が多く
関西側は「どんぱっぱ」が多いようだ。
ドンセッセ
ドンパ
などいろんな呼び名がある
がそのあとはどちらも
「グリン・チョリン・パリン」だ。

現代版グリンピースドンパッパ

現代の子どもたちはというと
あまり
「戦争」
「グリンピース」
「ドンパッパ」
というのは
少なくとも神戸ではきかない。

けれど
今もたくましく変化している。
わかっているだけで3つ


カレーライス


最初の掛け声は「カレーライス」。「ライス」でお互いが手を出す。
グーは「グー辛」、チョキは「チョー辛(チー辛、中辛)」、パーは「パー辛」と呼び替えられる。
「あいこ」になったときの掛け声は「水」。


お菓子
(3時のおやつ、お菓子屋さん)


最初の掛け声は「お菓子(3時のおやつ、お菓子屋さん)」。
グーは「グミ」、チョキは「チョコ」、パーは「パフェ」と呼び替えられる。
「あいこ」になったときの掛け声は「虫歯」、または「ごちそうさま」「おいしい」「おかわり」「ジュース」。

エレベーター


最初の掛け声は「エレベーター」。
グーは「0階」、チョキは「2階」、パーは「5階」と呼び替えられる。
「あいこ」になったときの掛け声はエレベーターの到着音「チン♪」

これは
ジャンケンの三種を数と認識している
わたしは個人的に初めて見た時いたく感動した

ジャンケンのリノベーションや!


加古先生のまとめより


ここで私がいいたいのは、子どもたちの遊びというのは強制されたものではない。だれだれ先生ご創案の遊びですといっても、そういう権威であそびが成立しているのではないということです。あそびはおもしろくなければだめです。そのおもしろさがただ一つの標準、基準であって、あとは何ものにも束縛されぬ自由によって貫かれている。そして彼らはこのグー・チョキ・パーの三つにすばらしい時代感覚を示し、同時にクリエイティブな力、創造性を見事に開花させている。軍艦・ハワイ・沈没、これはいけるぞという1人の子どもがたまたま発見したのを、次の子ども大衆が支持し、それが遊びとして成り立っているということ、それから子どもあそびは、なにものよりも子どもたちの生活に密着しているということです。ここに遊びの純粋な真髄みたいなものがあると思うわけです。
(引用おわり)


わたしのまとめ


こどもたちは
大人が思ってるよりずっと
頼もしい。

また
大人や社会の変化は
大人が思ってるよりずっと
こどもに反映される。

戦争や終戦。
最近のコロナも
なんかようわからんけど
えらいことなんはわかる。

そのなかでこどもたちは
逞しく
社会を反映しながら
遊んでいる。

1年生の生活科の授業で
昔遊びを地域の高齢者から学ぼうという
単元がある


みな
いっぽうてきに
こま教えてください
けん玉教えてください
折り紙教えてください

なんで伝承あそびだけ
ステレオタイプでかわらねぇんだ。

いまの爺さん婆さんわかいから
そんなもんで遊んでない人も多い。

1人のじいちゃんに
独楽まわしてたんですか?

っていうたら
そんなんやった事ないけど
今日のためにYouTubeみて勉強してきたらしい。

なんだか本末転倒な気がするのだ。


そんなことよりも

むかし流行ってたあそびをおしえてもらって
いま流行ってるあそびを子どもからおしえてもらえばいい。

じゃあじいちゃんは
「グリンピース」おしえるわ


じゃあ私は
「3時のおやつ」おしえるね。


これこそ
「伝承あそび」だとおもうのだ



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