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全日本ベーゴマ学会(ベーゴマ考察記)

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日本におけるベーゴマ(バイ)について 初期の江戸期から 明治・大正 昭和(戦前)の関西ベー 徳島ベーのことなど ベーゴマについての考察をまとめています。
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記事一覧

日葡辞書(ベーゴマ考71)

「日葡辞書」とは日葡辞書は イエズス会の宣教師たちと日本人信者とが協力して編んだと考えられている。 慶長8(1603)年に本編が、 翌9(1604)年に補編が出版されている。 日本語を見出しとして、それにポルトガル語で語釈を配した、 「日本語ポルトガル語対訳辞書」である。 日本語とポルトガル語の翻訳辞典だ。 戦国時代にいかに ポルトガルが日本にとって大きな存在だったかがわかる。 上記の記事によると、 事細かに、日本語の難しさについても書いているのがわかる。 現在も、戦国

教えてvascoさん!(ベーゴマ考70)

ずっと思っている疑問vascoさんは イタリアにすんでいはる、独楽の研究科です。 以前、私の この「ベーゴマ考」をみて 連絡してきはった。 最近、疑問に対して 先に進めない感じはあるので 意見を聞く ズバリ 「日本のベーゴマの起源はいつと考えるか」 である。 というわけで、以下の質問をしてみた。 私がずっと調べても、日本でのベーゴマの起源は1603年のポルトガルとの辞書に書いてあるのが一番初めです。 いつにベーゴマが成立したと考えられますか? すると、すぐに返答

徳島バイゴマ探訪記⑤(ベーゴマ考69)

前回、 電話で教えてもらった。 「ユウキコウキ」という 徳島市の二軒屋にあったとされる、 秤屋さん。 この「ユウキコウキ」について 徳島市の市立図書館に問い合わせした。 前回も「トヨクニ鋳造」について調べてもらったのと同じ流れだ。 いきなり 80年前くらいに 二軒屋にあったとされる 秤屋さんで 「ユウキコウキ」というとこについてしりたい というんだから 司書さんって大変だ。ごめんなさい その数日後 電話があった。 秤業のことを 「度量衡製造業 (どりょうこうせいぞ

幻の「のらくろ」(ベーゴマ考68)

戦前のこどもたちの人気者「のらくろ」は、 田河水泡の作による日本の漫画作品である。 黒犬の野良犬黒吉、通称のらくろを主人公とする。 しらべてみると 『のらくろ』のキャラクター創造のヒントがフィリックスであった旨を晩年のラジオ番組で明らかにしている アメリカが黒猫で 日本が黒犬 なんだか不思議な関係性だ。 大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて昭和6年(1931年)から16年にかけて連載された漫画で 「のらくろ」は日本の漫画の黎明期の作品として高い人気を

徳島バイゴマ探訪記④(ベーゴマ考67)

徳島バイゴマ探訪記④ 遠そうなのに、 実は近い徳島。 淡路超えたら徳島なので、 岡山よりもずっと近い。 昨日は徳島県児童館連絡協議会にお呼びいただき 児童館論2の講義でした。 お守りとして 徳島の特徴的なベーゴマ 徳島バイをパソコン脇に置いてしゃべる。 終わったあと せっかく徳島に来たから 前回の調査の足らずを調べに 「徳島バイ」を握り締め、補足調査 前回のひとり探偵ナイトスクープはこちらから 例えば… 学校の前にあった 何でも屋みたいな村の店屋みたいな 軒下にガ

和漢三才図会(ベーゴマ考66)

和漢三才図会とは今回は、私のベーゴマ考に何度となくでてくる 「和漢三才図会」について考えて見たい。 『和漢(倭漢)三才図会』- 1712年(正徳2年)に刊行。全105巻からなり、明代の『三才図会』を参考にして執筆された絵入り百科事典。日本における大百科事典の発端といわれている。 寺島良安寺島 良安(てらしま りょうあん、1654年(承応3年)- 没年不詳)は、江戸時代前期から中期の医師である。字は尚順。別号に杏林堂。名字の読みは「てらじま」とする資料もある。 出羽の能代

日次紀事(1676)から見るベーゴマ(ベーゴマ考65)

2012年ベーゴマの歴史にとって画期的な発見があった。 というより、今まで見えていなかった玩具としてのベーゴマの歴史が 再発見されたのだ。大阪の武家屋敷からのバイゴマの発見である。 その調査報告を見ていて、 何度も読んでるはずなのに、今まで読んだことがなかったベーゴマの文献のことが書いてあった。 不覚にも気づいていない。 というわけで、今回は 日次紀事 (ひなみきじ)まず・・・読めない「ニチジキジ」ではなかった。 「ひなみ」を辞書で引くと、以下のような説明 1.

ベーゴマの神様「なぎらさん」の話(ベーゴマ考64)

拝啓なぎらさん。一度お会いしてベーゴマ対談したいです。なぎら健壱さん ベーゴマ界有数のコレクターであり ベーゴマ界のなかでは私の中で 辻井社長と中島さん、ザビエルさんに並ぶ有名人 いつかほんまに会ってベーゴマの歴史対談したい。 なぎらさんはこのDVDにもでてる ベーゴマ削ってはる そして、こち亀にもでてくる ベーゴマやってる人なら なんとなくなぎらさんがベーゴマ好きなのはしってるわけだ 下町小僧そんななぎらさんは 「東京昭和30年 下町小僧」 という本を1988年にか

ベーゴマの巻き方を簡単にする魔法のアイテム(ベーゴマ考63)

ベーゴマにとって、 江戸時代の始まりの頃からずっと ベーゴマ普及のボトルネックになっていること それは… 巻き方が難しいことである。 戦後くらいの時に ベーブレードの元祖とも言えるものも 発明されている。 ベーゴマ初めて24年 先日、盟友のSNSのリールに目を疑った。 「ぬおっ!」 思わず声が出た。 なんでいままで気がつかなかったんだろう。 女巻きの場合 紐と紐の間に物体があれば、 初めての人でももっと巻きやすいのか! 目から鱗とはこのこと おもわず「天才か」とコメ

代用品のプライド(ベーゴマ考62)

戦争中に鉄が使えなくなった影響は 子どもの遊びにも影響し 小さなベーゴマ達は子ども達の前から消えた。 考察61でガラスのベーゴマについて記したが 今回は陶器のベーゴマについて考えたい。 そのままの形私が持っている完品はこの黄色に着色された物しかない。 違うものを買った際にオマケとしてついてきた。 15年くらいの間に 何度か箱ごと潰れた駄菓子屋かなにかから出た デッドストックの陶器のベーゴマが 藁に包まれた形でオークションにでたことがあった。 それらのいずれかのものであろ

ガラスのベーゴマ(ベーゴマ考61)

私が持っている約4000のベーゴマ その中でまだ手に入っていない 戦前から戦中にかけて作られた、 いくつかの「幻」がある •真鍮バイ ・面バイ(ひょっとこ・狗・おかめ) ・のらくろ ・ガラスのベーゴマ(ペロペロ容器含) 今回はこのガラス製ベーゴマの話 松下さんの戦争中の話戦前もベーゴマは駄菓子屋で売っていた。 戦争の激化と共に 昭和13年国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定した国家総動員法により家庭の中の鍋や金属類を既に提出していたにもかか

俳句の季語に見るベーゴマ(ベーゴマ考60)

江戸時代から庶民のなかで嗜まれてきた「ばいまわし(ベーゴマ)」 当初は子どもだけではなく、大人の遊びであった 当時有名であった三重県産のバイ貝が出回るのは 9月〜10月ごろで 貝の名前「ばい」を「倍」と転じ 縁起物として食された。 その貝殻を利用して、バイ貝の殻をかけさせて粘土などを詰めて独楽とし、樽などの上で廻し遊んだ。 この 「海臝廻(ばいまわし/ばいまはし)・海臝打(ばいうち)・べい独楽(ごま)」は、俳句の季語「秋・晩秋」として使われる。 海螺廻し(ばいまわし/

白黒写真で見るベーゴマ(ベーゴマ考59)

江戸時代などの ばいまわしの錦絵などは見てきたが 昭和になると写真になる 数は少ないがネットで見つけることができる ベーゴマの白黒写真を見てみよう 1914年 Wikipediaで紹介されている写真。 床の形状・・・・ゴザのみ こどもたちの着物の様子からも 戦前の様子が見て取れる 後ろの子達は負けて泣いてるのか、それとも砂埃で目に砂入ったか ベーゴマの写真としてはかなり有名 土門拳さんの写真でいきいきとしたこどもたちの表情が他の写真も含めて面白い ベーゴマ 東京都江東

超巨大ベーゴマ降臨(ベーゴマ考58)

でかいベーゴマが欲しいベーゴマを手に取って24年 こどもたちにベーゴマを指導し20年 ずっと思ってきたことがある。 「大きなベーゴマが欲しい。」 だって 巻き方教えるにしても 複数名におしえるとき 手元みんなから見えないんだもん これは独楽も一緒だ。 ずっと 大きなベーゴマを追い求めていた。 かつて、トコロさんの番組に出た時、 スタジオへは 中島さんに行っていただいた。 その時バケモンみたいなベーゴマをまわしてはった。 羨ましい。 あんなのがほしい。 鋳造自力でする