自閉症とコンテンポラリーアート

前回の記事では一部有料設定したにもかかわらず多くの方に読んでいただいたりサポートしていただきありがとうございました!今後どれくらいのペースで書けるかはわかりませんが最低月一程度で自分の活動について書ければと思っています。今回は自閉症という若干センシティブでありながら現在の自分のメインテーマになっていることについて紹介します。

自分が自閉スペクトラム症(いわゆるアスペルガー症候群)と気づいたのは2016年の秋のことでした。その年の夏はウィーンのインプルスタンツ・ダンス・フェスティバルに一か月ほど参加していていくつもワークショップを受けたのですが、中でもマリア・ハッサビ(ダンサー)とヤン・モット(ギャラリスト)のワークショップで何度も自分のことを書く機会がありました。美術館で来館者をつけまわしたり街をゆっくりとしたペースで歩くなど一風変わったことをしたのですが、それから観察して気づいたことをノートにまとめるよう言われ、そして五日間のワークショップの最終日はノートに書いたことをもとにパフォーマンスを行いました。マリアには常々自分の視点で書くことを強調されていたし、同じワークショップを受けていた俳優の友達は自分のキャラクターを作ってその目線でノートをつけているんだと話してくれたのですが、何度も試してみても自分のことではなく事実を描写するだけになってしまうことに疑問を持ちました。ワークショップの後もしばしばノートに日記のようなものをつけていましたが、書けば書くほど他人との違いに気づくようになりました。

その後はカナダのモントリオールの大学で研究員としてニューロサイエンスの研究室で3か月ほど働いていたのですが、その研究室にいた学生の一人が美大の出身で、ニューロサイエンスを勉強しながらゆくゆくは発達障害に関連したインスタレーションを作りたいということでした。そのコンセプトを説明するうえで自閉症とサイコパスについて話してくれて、初めはピンとこなかったのですが、それから自分の書いていた日記などを読み返して実は自分も自閉スペクトラム症であることに気づき、これまでのことに納得がいきました(ちなみにその学生にこのことを伝えられたのはそれから一年後に再会したときのことです)。

アスペルガー症候群というと「空気が読めない」「他人の気持ちがわからない」というイメージがありますが、当時の私はアートというと他人の気持ちに訴えかけるものととらえていたので自分は大きなハンディキャップを抱えていると思い、それからしばらくの間はアートに携わるのが嫌でした。そんな否定的な気持ちを大きく変えてくれたのは2017年の夏に再びウィーンで同フェスティバルに参加したときのことです。ドリス・ウーリッヒというダンサー・振付家のワークショップに参加していたときに自閉スペクトラム症のアーティストと出会いました(ドリスのワークショップ自体は裸で踊ったり、その後パフォーマンスに参加させてもらったり、韓国でレジデンス中にも会ったりと話題は尽きないのでまたの機会に書くかもしれません)。彼女は自己紹介の時から自分の発達障害についてオープンにしていたので、それをきっかけに話しかけてみるとフランス出身で早稲田に留学していたことがあって、大学で勉強しているときに発達障害について知ったとのことでした。自閉症について肯定的にとらえていて自閉症と暗黒舞踏の動きに関する研究やクリエーションをしているそうで、自閉スペクトラムをハンディキャップとしかとらえていなかった私にはとても刺激になりました。それからワークショップの後も何度か会ったりして自閉症として生きる辛さについて話したり、彼女に誘われて発達障害や運動機能に障害のあるダンサーと交じって踊るワークショップにも参加しました。

それ以降は親しい友達には自閉スペクトラム症について話せるようになりました。ウィーンでフェスティバルに参加した後ベルリンに数日間滞在していたのですが、その時に再会したダンサーの友達にそのことを話すと実は彼女も自閉スペクトラムであると言われ、同じような悩みを共有できるようになっただけでなく彼女の作品にはパターンや数字が多く使われていることに気づいてコンセプトについてより深く知ることができるようになりました。それから少しずつ公の場でも発達障害について話すようになったのですが、やはり他人の自閉スペクトラムに対する理解はまちまちだと感じています。昨年ドイツのエッセンで IMPACT シンポジウムに参加した時に短いプレゼンテーションをする機会があったのですが、終わってから参加者の一人に「自閉スペクトラムであることを隠すのが上手いね」と言われました。恐らく本人は肯定的な意味合いで「固定観念的なアスペルガーと違って人と話すのに慣れている」と言っていたのだと思いますが、障害がないように振舞っている(障害がないように振舞わなければいけない)という考え方自体失礼な気もします。今年の初めにドイツのデュッセルドルフでプレゼンテーションをした時には終わってから自閉症のダンサーから声をかけられて肯定的なコメントをいただき、自閉症に関する文献なども教えていただけました。

自閉症を私の活動している分野のメディアアートのコンテキストでどのように生かしていくかについてはまだ手探りの状態です。今秋入学する KHM (ケルン・メディア芸術大学)でのプロポーザルは自閉症特有の言語化しづらい概念をジェネラティブ・アートを用いて抽象的な画像や映像として表現し、それをさらに一歩進めて辞書的なものを作るというのがコンセプトなのです。言語と画像を対応させることについては、近年の白人男性主導の機械学習のデータセットに対して疑問を投げかける意味合いもあります(多様性のあるデータセットについては、例えばフェミニスト・データセットをテーマにキャロライン・シンダースらがすでにワークショップなどを行っていますが、発達障害特有の言語に対応したデータセットを作る動きは私の知る限りではありません。機械学習の研究者には自閉スペクトラム症の方が多くいると思いますが、そういった人たちが多様性を排除するようなメインストリームの機械学習の開発に加担しているのは皮肉だと思います)。しかし実際にどうやってジェネラティブな画像や映像を作るのか、どうやって評価するのか、そもそも本当にニュー・メディアが自分を表現するのに適切なのかといった疑問があり、それを在学中に突き詰めていければと思っています。

最後に、今回は自閉症・アスペルガーとひとくくりにして書きましたが、スペクトラムと言われるように知的障害の有無など症状は千差万別です。そこで、ジェンダーなど他の多様性と同じように自閉症というジャンルとして一括りにするのではなく、自分自身のことを知っていく過程で他の人にも貢献できるのではないかと思っています。

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