ミロクナオト

経験や知人から聞いた話を書いています 悩むことも辛いこともあるけれど「今」を大切に 楽…

ミロクナオト

経験や知人から聞いた話を書いています 悩むことも辛いこともあるけれど「今」を大切に 楽しいこともあるから

マガジン

  • 僕たちは母を介護する

    母の介護が始まった 。 介護について理解はしていたつもりだけど、次々に降りかかる問題。 障がいと要介護を受けた母の気持ち、介護する家族の気持ち。 その体験を息子(長男)の目線で記した体験談です。

  • 『お腹の痛みと心の弱さ』 ~過敏性腸症候群の私~

    過敏性腸症候群。 お腹の痛みに苦しみ。誰もが一度は経験のあるものと思います。 なぜこんなにお腹が痛いんだ。どうすればいいのか。10代から50歳を過ぎた何十年も苦しみ、過敏性腸症候群付き合うことになった半生を記した体験談です。

  • なおとの随筆集

    思ったこと、感じたことなどいろいろな感情などを短文にしています。

最近の記事

【僕たちは母を介護する】-41「転院②」

転院先のC病院は、B病院から車で30分ほどかかる。 弟は福祉タクシーに乗っているので私一人だ。 (退院の慌ただしさ) (B病院の入院期間は45日間) (その内、3日に1日程度の面会) (そういえば、三男は来なかったな) そんなことを思いながら車を走らせた。 予定時間より10分遅れてC病院に着いた。 先に出た福祉タクシーが、病院の前に止まっている。 しかし、御袋や弟の姿はそこにない。 駐車場に車を停め、病院へ入った。 待合室の真ん中に御袋が寝ているストレッチャーがあった。 弟

    • 【僕たちは母を介護する】-40「転院①」

      御袋がこの病院に入院して45日目。 あっという間だったが、いろいろな事があった。 そんな事を思いながら、病院に着いた。 完全回復で退院なら、大きな花束で祝うところだ。 しかし、まだこれから。 そう気を引き締めて、病棟に向かった。 着くと、ストーマ業者の方が来られていた。 名刺をもらうと、肩書は営業だった。 会社名も全く知らない。 大きな会社なんだろうけど、世の中にはたくさん知らない会社がある、知らなくて当然だ。 彼はストーマのパンフレットを私たちに見せながら、いろいろ説明を

      • 【僕たちは母を介護する】-39「転院前日」

        ストーマの交換作業を見学した翌日、病院から電話が入った。 仕事中だったが、今ではすぐにでるようにしている。 メモを持って部屋を出た。 「転院先が決まりしました」 「そうですか、どちらですか」 「近くのD病院ともう一つの病院は無理でした。C病院になります。少し距離がありますけど大丈夫ですか」 「大丈夫です。同じ区域内なのでそんなに遠くないので」 「わかりました。転院日も決まりました」 「そうなんですか、いつですか」 「来週の火曜日です」 「え!?そうなんですか」 驚いた。来

        • 【僕たちは母を介護する】-38「ストーマ学習~交換作業講習~」

          一週間が経った。 今日はストーマの交換作業を学ぶ日だ。 いつも通り次男と二人で病院に向かった。 今週の面会は、三男夫婦の予定だったが、実際にストーマの交換作業は同居している次男がすることになるだろうし、応援で私もすることなると思う。 三男にはそれを伝え、面会は来週行ってもらうように了解を得ていた。 病室に着くと、介護士が御袋を車いすに乗せていた。 別の部屋で交換するのか?と思ったら違うようだ。 どうやら当初の予定ではリハビリが予定されていたらしい。 しかし、ストーマの交換

        【僕たちは母を介護する】-41「転院②」

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        • 僕たちは母を介護する
          41本
        • 『お腹の痛みと心の弱さ』 ~過敏性腸症候群の私~
          19本
        • なおとの随筆集
          8本

        記事

          【僕たちは母を介護する】-37「ストーマ学習~動画を見る~」

          1週間に一度の面会に次男と二人で病院へ行った。 今日はストーマ学習をするとのことだ。 訓練みたいなものだろうか、全くわからない。 病院に着き、まず御袋の面会をした。 今日は元気そうだ。 話す言葉もわかりやすい。 軽い冗談が言えるほど回復している。 その後、担当医が来られた。 説明があるとのことで別室に向かった。 部屋に入るとまた、入ったことのない部屋だ。 病院にはたくさん部屋があるようだ。 「経過はとても良いです。今週中に手術の傷跡が完治したら、来週から転院先を探そうと

          【僕たちは母を介護する】-37「ストーマ学習~動画を見る~」

          【僕たちは母を介護する】-36「1ヶ月~苦悩と前進~」

          御袋が倒れ、手術してから1ヶ月が過ぎた。 たくさんの事が起きて、頭の中で整理ができていない。 最近はいろいろな事を考えたり、複雑な事を同時に行ったりしないからだろうか。 若い頃は仕事が忙しく、一つのことに集中して作業をするのではなく、同時に進行したり、他の事も考えながら行動していた。 働いているということに生きがいを感じ、疲れていたが充実もしていた。 年齢が上がり、先輩や上司という立場になると、さらに楽しくなっていった。 自分の考えでチームが動いたり、周りの意見を取りまとめ

          【僕たちは母を介護する】-36「1ヶ月~苦悩と前進~」

          【僕たちは母を介護する】-35「ストーマ補助金」

          そのあと、ストーマ補助金について説明された。 ・障がい者手帳交付後に申請する ・申請は月単位で、4か月分申請できる(11~2月分を10月に申請) ・申請後、市役所から業者に発注され、ストーマが自宅に届く ・基準額に応じて補助金が決まる ・ストーマの料金より補助金が多い時は、自己負担なし(補助金で足りないときは、業者から請求される) ・申請は4か月単位で、自分たちが市役所で行う(通知等はない) ・申請した分のストーマが期間中(4か月の間)に無くなった時は、自己負担で購入するこ

          【僕たちは母を介護する】-35「ストーマ補助金」

          【僕たちは母を介護する】-34「身体障害者手帳申請」

          翌日、障害者手帳の申請に市役所へでかけた。 私の身体障害者手帳の認識は ・身体の機能に一定以上の障害があると認められた人に交付されるもの ・手帳をもらうことで、何らかの福祉サービスが受けられること ・駐車場で障害者スペースに停められること この程度だ。 正直、御袋が退院してからでもいいのではないかと思っていた。 しかし病院でストーマは高価だから、身体障害者の申請をし手帳をもらえると補助金がでるとすすめてくれた。 もちろん、費用はすこしでも少ない方がいい。 ただ、市役所は土日

          【僕たちは母を介護する】-34「身体障害者手帳申請」

          【僕たちは母を介護する】-33「負担」

          見舞いを終えて帰るとき、面会について病院へ相談した。 今は私と次男が毎週1回見舞いをしているが、三男も見舞いに行かせたい。 理由は3つあった。 一つは、御袋に元気を出してもらいたいこと。 もう一つは、私も次男も仕事の負担が大きくなってきたこと。 あと一つは、大病に挑んで回復している御袋の様子を見て、三男の励みになればいいなと思ったこと。 その思いは伝えず相談してみると「大丈夫です」と回答を得られた。 私は深くお礼を言った。 帰りの車の中で、次男と今後の話をした。 面会の

          【僕たちは母を介護する】-33「負担」

          【僕たちは母を介護する】-32「アイスを食べる」

          翌日の昼前、担当医から着信が入った。 [おそろく、昨日言っていた鼻から管を入れて食物を注入する件だろう] そう思いながら電話に出た。 「血液検査をしたところ、肺等に異常が見られました」 「そうなんですか。それでは・・・」 「はい、昨日お伝えしました、管を鼻から入れると、誤嚥性肺炎や嘔吐によ窒息する恐れがあり危険と判断しました」 「それでは・・・どのようになるのでしょうか」 「今は抜いているのですが、首の後ろから針を刺して、高濃度の栄養剤を注入しようと思います」 「はい」 「

          【僕たちは母を介護する】-32「アイスを食べる」

          【僕たちは母を介護する】-31「退院?、介護と今後」

          「こんにちは。少しご質問をさせていただきます」 「はい」 「現在のお母さんの状態はどのような感じですか」 一瞬「ん?」と思った。 カルテや御袋を見ればわかることなのになぜ聞くのかと思ってしまったが、先ほど見た御袋の状態を伝えた。 そして 「先生(担当医)の診断はどのようなものでしたか」 と聞かれるので、私は[なるほど]と思った。 多分私たちが御袋の病状や先生からの説明を理解しているか、御袋の様子を見てどう感じているかを知ろうとしているのか。または、担当でないために詳細がわか

          【僕たちは母を介護する】-31「退院?、介護と今後」

          【僕たちは母を介護する】-30「衰弱」

          ちょうど面会時間が終わったので、「また来るね」と伝え、部屋を出た。 すると担当医が来られ、 「少し時間ありますか」 と尋ねられた。 私は「大丈夫です」と言うと、「こちらへ」と別室に進んだ。 弟と部屋に入り椅子に座ると先生が、 「かなり衰弱していますが、人工肛門も問題なく、尿の出も正常です」 「そうですか。よかったです」 「今は脳もしっかりしていると思います」 先日のせん妄の件を言われているのだろう、私たちはただ頷いた。 「現在の治療は酸素吸入のみで、血圧の薬も入れていません

          【僕たちは母を介護する】-30「衰弱」

          【僕たちは母を介護する】-29「今日は何日?」

          《18日目》 今日は週に1度の面会。 弟と病院に向かいながら、御袋の昨日の様子を話した。 「この前は驚いたな」 「あぁ、美容院に迎えにって言うから、『今、病院にいるんだよ』って言ったんだけど、よくわかっていないようだった」 「うん、多分せん妄だと思うよ」 「せん妄?」 「専門家じゃないからわからないけど、大きな手術や薬などで一時的に幻想や幻覚がでるらしい」 「そうか」 「多分大丈夫だよ」 安心させるつもりでいったが、弟の反応はよくわからなかった。 それから病院につき、病棟で

          【僕たちは母を介護する】-29「今日は何日?」

          【僕たちは母を介護する】-28「せん妄」

          同日夕方、次男から電話がかかってきた。 「お疲れ、どうした」 「母から電話がかかってきてよ」 「え!?もう電話ができるのか!」 私は驚いて、午前中、看護師から電話がかかってきた時に思った、『かなり回復』が頭に浮かんだ。 「うん、それが『今、近くの美容院にいるから迎えにきてくれ』って言うんだよ」 「は!?」 御袋は夢でも見て電話してきたのか? 実は私は若い時、睡眠中に知人から電話があり会話をしていたことがあった。 後から聞くと『お前、なんか分からないこと言ってたぞ』と、笑いな

          【僕たちは母を介護する】-28「せん妄」

          【僕たちは母を介護する】-27「身体障害者手帳」

          御袋が一般病棟に移ったことで、私は精神的にも肉体的にも楽になった。 この2週間、病院から連絡があるのではとスマホを常に持ち歩き、睡眠中も何度か目覚め着信を確認していた。 病院に行くため仕事を途中で切り上げると、その分の作業は翌日に繰り越される。病院への運転と仕事が慣れない身体に負担をかけていた。 しかし、まだ終わることはない。 一般病棟に移った翌々日の日曜日の午前中、久しぶりに外をボーっと眺めていると、病院の看護師から電話がかかってきた。 「人工肛門のストーマは給付金がでる

          【僕たちは母を介護する】-27「身体障害者手帳」

          【僕たちは母を介護する】-26「一般病棟」

          《13日目》 9時22分 病院の事務から電話がかかってきた。 「今日の11時に一般病棟に移ります」 「はい、わかりました」 「面会のことと、入院で準備していただきたいものをお伝えします」 事務的な話し方だが内容は以下のとおりだった。 〇面会  ・感染症対策により面会規制があること  ・面会は週1回で、面会者は2名  ・面会者は固定される  ・面会時間は14時から16時の間の15分間 〔面会者は固定される?〕一瞬疑問に思ったが、複数の人が入ると感染がどこから来たのかを判別し

          【僕たちは母を介護する】-26「一般病棟」