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【モンマルトルの丘】

フランスという国のことを考えてみます。

フランス共和国
①首都: パリ
②人口: 6,281万人
③国歌: 「ラ・マルセイエーズ」

フランス国旗は、通称「トリコロール(3色の意味)」と呼ばれている旗です。
「青」は自由、「白」は平等、「赤」は博愛を表現しているとされます。
歴史的にはフランス人のラファイエット(1757〜1834)により、革命期の1789年7月に発案されました。フランス革命の際にパリ市民軍が掲げたとされています。

首都パリの人口は214万人。
パリ盆地のほぼ中央に位置し、市内をセーヌ川が貫いています。セーヌ川の中洲であるシテ島を中心に発達しました。シテ島には有名なノートルダム大聖堂があります。

パリ市の標語は「たゆたえども沈まず」です。もともと水運の中心地だったパリで、水上商人組合の船乗りの言葉だったそうです。やがて戦乱、革命など歴史の荒波を生き抜いてきたパリ市民の象徴となっていきました。パリ市の紋章の中心に船が描かれているのは、かつて船乗りの町であったことの名残りです。

パリに「モンマルトルの丘」という場所があります。モンマルトルの名は、フランス語でMont des Martyrs(殉教の丘)を由来としています。
紀元272年頃、この丘でパリ最初のキリスト教司教ディオニュシウスと司祭2名が首をはねられて殉教したと伝えられています。

モンマルトルの丘(写真を参照)です。写真の奥の白い寺院サクレクールのあるあたりがモンマルトルの丘です。

大航海時代に日本にやってきたキリスト教宣教師にザビエルがいます。彼はイエズス会というカトリック教会の修道会に属していました。
イエズス会の発祥の地がここ、「モンマルトルの丘」です。

イエズス会は、1534年8月15日にイグナチオ・デ・ロヨラ(1491〜1556)がフランスシスコ・ザビエル(1506〜52)などの同志6人とモンマルトルの丘の中腹にあった聖堂で生涯を神に捧げることを誓ったことにより創設されました。

パリでは、19世紀半ばから「パリ改造」という都市整備事業が行われました。整備された新しい町を逃れて、モンマルトルの丘にはたくさんの芸術家が集まりました。パリが芸術の町と呼ばれるようになるのは「パリ改造」以後のことです。

モンマルトルの丘は、かつてボヘミアン的な芸術家がたくさん集まる町でした。しかし、第一次世界大戦の直前あたりから急速に観光地化・高級住宅地化が進み、芸術家の町としての一時代を終えました。

2001年4月に公開されたフランス映画「アメリ」は、パリのモンマルトルを舞台にしてパリジャンの日常を描きフランスで大ヒットしました。

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