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私のモットーである「全否定しない」について

私の中のモットーとして、とても大切にしている事があります。

「全ての意見を全否定しない」

これはいくつかある私のモットーのうちの一つで、よくSNSでも呟いています。

「全否定」
すなわち、私も否定はします。私も人間ですから、私にも意見があります。その意見は誰かの意見の否定になるかもしれないからです。

よく言及しているのは「意見」についてですが、私が全否定しないのは「意見だけ」というわけではありません。

そもそも人の意見の先には、その人の「特性」とか「人格」とか「性格」などが思考に大きく関わっていると私は考えてます。もっと言えばその人の「環境」とか「境遇」とか、「性別」や「人種」なんかも関わっているかもしれません。私はそれら人を構成する要素全てを全否定するべきではないと思ってます。

しかしながら、人はとても不安定で弱くてアンバランスな生き物です。それ故、罪を犯したり、常識から逸脱したり、魔が差したりします。その結果、起こしてしまう悪行は許される行為ではありません。ですから、私もそんな“行為”の否定はします。

例えば窃盗を犯してしまった人が居るとしましょう。その窃盗という行為については私は否定します。当然ながら犯罪は許されるべきではありません。

しかし、これはよくSNSやニュースサイトのコメント欄などで散見されるのですけど、例えば「窃盗しそうな顔」だとか「窃盗するやつは生きてる価値がない」といったような言葉。まさにこれらが私の思う「してはいけない全否定」です。

改めて言っておきますけど、私は犯罪は許してはいけないと思います。また、被害者がいるような犯罪の場合は、まず被害者の救済が第一です。そして当事者である被害者が、犯人を否定することは権利です。

私が心に決めているのは「第三者」の立場として全否定することはしない、ということです。

暗い内容のニュースは感情を掻き乱し「許せない!」などと怒りを覚える気持ちはとても分かります。とてもよく分かりますけど、私は「人自体を全否定するべきではない」と考えています。

さて、この「全否定しない」は時々「優しい」と言われます。

そう言ってくださるのはとてもありがたいですけど、私はこれは「優しさ」では無いと思っています。

本当に優しいのは「人を全肯定する」ことだと思います。

私は他人のことを全肯定することは難しいと思っています。なので「全否定しない」は優しさというより、他人に対して「最大限できる最善策」だと思っています。人生って、生きてるだけで何かと否定されることが多いじゃないですか?私はそんな「誰かを全否定をする世の中」が、負を作り出してるとさえ、思ってます。


ちなみに話は少し逸れますけど、自分のことを全肯定できるのは「自分自身」と「親(親の立場の人)」だけだと私は思ってます。
友人や恋人(配偶者)など、中には他にも全肯定してくれる人が居るかもしれませんけど、そのような人は少ないと思います。また、親の立場の人も全員が自分を全肯定してくれるとも限りません。
一番揺るぎないのは「自己肯定」です。



モットーだなんて言いましたけど、私も「全否定しない」について、まだまだ体現できていない気もします。また、過去については変えられないのですけど、正直に言うと昔は誰かのことを全否定したことがあります。

自分のモットーはあくまで私のモットーです。なので、誰かに強要するものでもありません。

私の中でどのような思想や理念が最善なのか、これについてこの先も考えることをやめることはないように心がけてます。また、私自身が「負の感情」に侵されないように気をつけてます。
いつも向き合っているのは、他人よりも「自分」です。それでも、時には過ちを犯すのが人間で、私も人間です。「過ちを犯すかもしれない」という自分のことを棚に上げて、誰かを全否定なぞ、私に出来るわけありません。

渡邉 直太


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