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私とスピリチュアル遍歴②

私は医療を生業としているのだが、かつて、こんなことがあった。

ガンショットで救急搬送されてきた人。

銃弾が何発か打ち込まれて、体内に銃弾が残っている。
何発打ち込まれているのかは不明。

それを除去しなきゃなんない。

オペ室でポータブルのレントゲン装置を使って透視画像で銃弾を探すのだけど、その装置は全身をいっぺんに映し出すことはできない。

銃創から想定して、部分部分、ありそうなところに放射線を当てて透視画像を見ながら探していく。

銃創の数に見合った個数が見つかって、もうレントゲン装置を引き上げようかって段階になった時、何かひっかかった。

どうもまだある気がする。
なんかザワザワする。

私は自分の手を患者さんの体にかざし始めた。

今思えば、周りの人達は「何やってんだ、コイツ」と思っただろう。

しかし、そんなのお構いなしに、私は続けた。

左腕にある気がする、なんとなく。

周りがレントゲンを切り上げようとする雰囲気の中、
「ちょっと待ってください。ここ撮ってください。」
と、左腕を撮ってもらった所、そこに銃弾が見つかった。

そんなことがあった。

(…ちなみに、銃弾は、それはそれは禍々しい氣を放っていた。その氣をやはり感じ取って判断していたのかもしれない。)

自分の感性は信じるものだな、と思った一件だった。

…ちなみに、医療という仕事をしていると、職場はほぼ例外なく病院になるし、人の死にもちょくちょく直面する。

病院で心霊現象的なものにあったことがあるか?と言われると、ない。

しいて言えば、ICUやオペ室でたまに片耳がボソボソボソッとなることがある…。(目に見えない誰かが何かを話かけているのかもしれない…。)

…もし、見えちゃう人だったら、そりゃあうじゃうじゃいるだろうなぁ、とは思う…。

悪いけど、そんなこと気にしてたり構ったりしていたら、怖がりな自分は仕事ができなくなるので、全く感知しないことにしている。

けれど、万が一、目撃してしまったら…ということもたまに想定してみたりする…

もし、ホラーもののように、目玉が飛び出たオバケがでてきたら……。
……私は怖がらないかもしれない…。

何故かというと、職業柄、解剖学的視点で観察してしまうからだ。

「あー、上直筋と上斜筋切れてるんだなー」と。

幽霊の、手がぶらーんとしているのも、医学的には「下垂手」であり、つまりは橈骨神経麻痺を起こしている、ということ。
両側だから中枢性(脳・脊髄由来)かなぁ、なんて、勝手に分析してしまう。
怖がる前に、その物理的な状態を観察して解剖学的に考察してしまう。

なので、オバケ側も白けて医療者を驚かそうという気にはならないのかもしれない。

仕事モードの時は万事そうなのだ。
目に映るものは全て診察の対象になる。

ご遺体にしても生体にしても実際解剖を見させて頂いているから、そうゆう視点に自ずとなってしまうのかもしれない。

もし、何かが怖く感じられるとしたら、それは、こちらに接触しようとするあちらの意欲、かもしれない。

それすらも、うんと、細かくして分析すれば、エネルギー保存の法則による、死に際に放ったエネルギーの残存に過ぎないのかもしれない。

そんな風に、怪奇現象も、本当は科学的に証明できるものではないか、と私は思っている。

……

スピリチュアルとはやや離れましたが、医療現場編でした。

長くなったので、続きはまた次回😉

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