Twitterの下書きを供養する#1
私は2011年からTwitterを利用している。ひとつは大学のゼミで必要になったので作成したアカウント(現在は鍵アカウント)、もう一つは就職した後に本名とは別で発信するために作成したハンドルネームのアカウントだ。
現在は主に、ハンドルネームのアカウントをメインに日頃の日記的なツイートやイベントの告知、応援したいクリエイターの商品の宣伝、趣味に関する報告などに利用している。
鍵アカウントは、学生時代に相互フォローになった知人とのやりとりや、メインのアカウントでは控えている政治経済関連の情報収集、発信、不特定多数の人の目に触れることを想定していないツイートのために利用している。
どちらのアカウントでも溜まっていく、"あるもの"がある。
「下書き」である。
学生時代から、この「下書き」が溜まっていくことが気がかりであった。
尋ねると、全く下書き機能を利用したことのない人も多数いた。
しかし、人によっては100以上溜まっているという例もあった。
過去に私が自身のアカウントで開催した下記のアンケートでは、やはり下書き機能を利用していない人が多数だが、61人中20人は溜めており、そのうち6人は50以上のツイートを下書きに残していることがわかる。
なぜ、この6人のTwitterの下書きは溜まったのか。
Twitterの下書きは人に見られることがない。最初から見せないつもりなら、スマートフォン内臓のメモ機能を利用すればよい。
最初は人の目につくところに発信しようした内容を、ツイートボタンを押そうとしたところでためらった内容、それが下書きに残された言葉だ。
理由は様々なものが考えられる。
感情のままに言葉にしたが、これを発信すれば誰かを傷つける可能性があると気付き思いとどまったか、内容に整合性が確認できないので保留としたか、直感的な何かがそうさせたか・・・
また、書き始めたものの140字ではまとまらなかった、というものもあると思う。
このブログでは、Twitterの下書きに残された自身の膨大な下書きから、140字以上の言葉が与えられれば発信できたのではないかというものを選び、供養していきたい。
今回は、決意表明のようなものなので詳しくは行わないが、上記で例にあげた下書きツイートを試しに供養したい。ちなみに供養という言葉には、日の目をみることのなかったツイートを公の場へ連れ出してあげる、独り言だったものを人に伝えるための言葉に昇華させるといったイメージがある。
例えばこれ
「今朝はなんかもう今年そろそろ終わる気分で家を出てきたので冬みたいな格好してきちゃった。あったか〜〜」
なぜこれが下書きに残っているのか。
たかがTwitter、されどTwitter。
発信するべき大きな事件も出来事もなく、外出といえば買い物へ行くだけ、といった生活の中で、「天気の話しかできない人間」だと思われたくないという気持ちがどこかにあったのではないかと推測できる。その日はじめての感動が「外気の暖かさ」であったことが悔しいという思いがツイートボタンを押させなかった。
そして、この日は本当に暖かかった。
Twitterの下書きは世に発信するつもりのなかった思いや自分自身だということが言えそうだ。SNSは、自分自身のリアルな言葉であると同時に、こういう風に見られたい、という自分を表現するツールでもあると考えられる。その狭間に生まれた言葉について、引き続き考察してみたい。
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