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女性学散策日記【7.「女性は政治とどう向き合ってきたか」読了】

先日、訪問した市川房枝記念会・政治と女性センター」で購入したブックレット「女性は政治とどう向き合ってきたか 検証・婦人参政権運動」を読み終えた。

と、ここまで書いてから2年半が経ってしまった……。

武力侵攻、虐殺、気候変動による火災、世界でも、国内にも不安と不満、そして怒りが立ち込めている現在。それはずっと前から続いていたことではあるのだが、今、少し違っていると感じるのは、同じ怒りや不安を感じている人の存在が目に見えるほどになっているということ。これはいつまで続くのだろうというストレスまでもが、互いに共有されている。

生活は続いていく。気を取り直して、この本を読んだという大切な経験のことを書いていきたい。

市川房枝記念会・政治と女性センターとは

私が市川房枝記念会へ訪れた際の日記はこちら。女性学散策日記【6.市川房枝記念会女性と政治センターを訪問】

市川房枝記念会は住所は代々木だが新宿駅から徒歩で行くことができる場所にある。中には市川房枝記念展示室があり、入館料300円で見学可能。

以下、公式サイトより引用。

女性と政治センターは、平和で平等な市民主体の社会の実現を目指し、
女性が民主的ガバナンスの積極的担い手になるために、
女性の政治的エンパワーメントの促進と国内外の連携を支える拠点として活動しています。
1962年財団法人認可、2013年4月1日より公益法人認定を受け、「公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター」としてスタートいたしました。

市川房枝は「婦選は鍵なり」「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」という言葉で知られ、平塚らいてうと共に「新婦人協会」を結成したメンバーであり、1921年には米国で婦人参政権や労働運動を見学、その後、女性参政権運動を日本で展開し、敗戦後に女性参政権が認められた後も女性のエンパワーメントの推進、平和活動、汚職政治の撲滅に尽力したことで知られている。売春防止法の成立にも大きくかかわっている。

女性の政治参加と戦争への加担。

市川房枝記念館のロビーに「婦選は鍵なり」の言葉が大切に飾られているように、女性の政治参加において重要なのは選挙権だった。

婦選運動は大きな盛り上がりを見せていたが後退する。もちろん、戦争が原因だ。
日本中が巻き込まれていった第二次世界大戦中、婦人運動は自ら積極的に政治、つまり当時は戦争に関わることで大きく成長した。

これが市川房枝が終戦後GHQに公職追放された理由だ。政治に果敢に入り込んだ婦選運動は、国防婦人会の結成へと繋がり国民総動員に積極的に役割を持った

映画でもよく見られる、タスキをかけた女性たちが赤紙の来た青年を料理や千人針、万歳三唱で送り出す姿。
あの背景には「女性運動」の効果があった。女性たちは、男を戦地に送るために団結し、銃後の支援に役割を見出し、そうやって戦争に加担することによって男たちの社会における存在感と地位を高めていった。

ちなみに、西洋におけるジェンダー史上、暴力的な政治システムに女性がどのように関わっていたのかについて書かれているのはこちらの本である。
はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで

歴史から学ぶ

戦後、市川らの婦選運動の意義にはただの女性の権利向上だけではなく平和と平等が加わった。戦中に戦争に加担したことを恥じ、反省したのだ。

戦時下、今になっても言えないような戦争への加担を行った人は少なくない。あの時は仕方なかった、確かにそれは一つの真実かもしれないが、すくなくとも現代を生きる私たちは、その歴史から学べることは何かということを真剣に考えるべきだ。

「婦選は鍵なり」と女性たちの当たり前を勝ち取ってくれた先人たちの功績と、その過ちを明らかにした取組はどちらも大切で、知ることができてよかった。

自分ひとりの力を低く見積もって、小さな矛盾に気づかぬふりをして流されたり無関心に暮らしていると、後でとんでもないことに加担していたと気がつくことになる。それを歴史はいつも明快な口調で教えてくれている。



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