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人間はAIを拳で殴るチャンスを狙っている?『フリー・ガイ』

この記事は「批評の教室」(著:北村紗衣)読書会でディスカッションした後に参加した、カルチャーに関する文章をまとめる共同運営マガジンCULVIEW初心者批評会で提出したものです。

※映画『フリー・ガイ』のストーリー展開について言及があります(ネタバレ注意)。

2020年、ショッピングセンター企業であるウォルマートがAI搭載のロボットを効率、接客、稼働コストを総合的に検討し人間の従業員を選ぶという出来事があった(米ウォルマート、「人件費」削減のためロボットをクビに)。人工知能・AI(以下、AI)は私たちの生活に欠かせない存在で今後の活用も期待はされるものの、SF映画・アニメのように人間と同じように仕事をしたり考えたりすることはできないという考え方が一般的だ( 人工知能(AI)の現状と未来 総務省)。

一方で2021年に公開された映画『フリー・ガイ』(監督:ショーン・レビ)は、ゲームのオープンワールド内に暮らすモブキャラの人工知能がとあるきっかけで急成長し、ゲーム内のルールと現実世界に革命を起こす物語である。

ゲーム会社「スナミ」によって開発された「フリー・シティ」は街の中で銀行強盗を行うことができたり、その辺を歩いているモブキャラを殺すこともできたりと自由度が高く、幅広くユーザーを獲得している人気ゲーム。ゲームの中で、毎日銀行強盗に襲われているモブキャラのガイ(ライアン・レイノルズ)は道ですれ違ったモロトフ・ガール(ジョディ・カマー)に一目惚れする。ガイの生活に訪れたその変化は、やがてゲーム全体、ユーザーや現実世界をも巻き込む革命へと発展していく。

この作品をSFとして成り立たせるための重要な設定は、AIが成長し自我を持つというものである。

この成長するAIの物語の例は、『2001年宇宙の旅(1968年)』『ターミネーター(1984年)』『A.I.(2001年)』『アイ,ロボット(2004年)』『ドラえもんのび太の海底鬼岩城(1982年)』のバギーなどの例を挙げるまでもなく過去に多くの先達がいる。映画やアニメの中で、AIやAIを内蔵したロボット達は人間を敵とみなして戦争をふっかけてきたり、人間による愛を求めたり、人間を守るための尊い犠牲となったりしてきた。

AIを描いたSFとしての『フリー・ガイ』の新しさは、成長するAIを創作の中で扱う時に生じるAIの持ち主の葛藤や苦悩にしっかりと触れながらも、とことん明るく、観る者を選ばず最後まで笑って観ていられるハッピーな世界観に仕上げているところにある。

自分という存在がゲームの中に書かれたプログラムに過ぎないと知り当然ながら動揺しうろたえているガイに親友バディ(リル・レル・ハウリー)がかける言葉、
「I’m sitting here with my best friend trying to help him get through a tough time. Now if that’s not real, I don’t know what is.(俺は親友を助けたいと思っている。これが現実じゃなければ何だ?)」
などは物凄い台詞で、 悲哀をまといがちなAIものの殻を打ち破る新鮮さを感じる。

一方、この映画は”予想通り”とも”期待通り”とも言える展開も見せる。後半になるに従い、戦いの肝はコードの入力でも謎解きゲームでもなく、”破壊”と”暴力”。追い詰められた「スナミ」CEOのアントワン(タイカ・ワイティティ)は現実世界でついにはPCの前から立ち去り「フリーシティ」のサーバールームで『シャイニング』のジャック・ニコルソンさながらに斧を振り回す。(※比較対象として、『サマーウォーズ(2009)』は現実世界の人間模様が丁寧に描かれながらも対AIの主戦場はあくまでデジタル世界であったことを筆者が参加した批評のコミュニティの参加者よりご指摘いただいた)

精巧なプログラムが組まれたものもいざとなったら力技で物理的に壊すことができる、とはある意味紛れもない事実でもあるが、未知なるものや自然と対峙して傲慢になりがちな人間の表現としてもふさわしい。

未知なる機械を相手にした問題解決へのアプローチに物理的手段が取られる場面は前例を見ても度々存在するが(例『2001年宇宙の旅(1968年)』、『ゴジラvs コング』(2021年)』)、私たちは高性能なプログラムを搭載した機械との戦いや仮想現実の世界での戦いに恐怖を覚えるゆえに、最終的には彼らに対して物理的な肉弾戦を持ちかけたい欲求をどこかに持っているのかもしれない。

人間がAIをコントロールできなくなるほどAIが賢くなる可能性は、実際には当分心配する必要がないのは冒頭述べたとおりだ。

しかし、確実にAIは人間の生活に欠かせないものになっており、何を彼らに任せ、何を人間の役割とすべきかは現在進行形で検討が必要な基準であり、この試行錯誤は早急に結論を急がれるべきものだ。人類が今後おそらくほぼ永遠に取り組まなければいけない問題でもある。十分な準備がなされなければ、現実に斧を片手にサーバールームに突入しようとする経営者がこれから現れる可能性は否定できない。

決断すれば守ることができる友情に気づいたマウサー(ウトカルシュ・アンブドゥカル)、思いを伝えることが必要だと気がついたミリー(ジョディ・カマー)それぞれの決断のシーンは感動的だ。

直感的に、時には非合理的でもある決断をすることができるのは、人間にとって何よりも人間らしい部分であると気づかせてくれた本作を、AIとの共存に歩を進める人類への応援歌としても受け止めたい。

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