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2020.7.24 3日間家にいた
特に出なくてはいけない用事が無かったので、火曜に歯医者へ行き買い物した以外は全く家を出ないで3日間。
週末に用事があるのでその分引きこもっていた。それでウィルスが相殺できるわけではないけれど。。
子の成長目まぐるしく、もう一人でおもちゃを出して遊び、好奇心が止まらず、今朝見たら絵本を出して読書していた。
安楽死についての意見がいろいろと目に入る。私のタイムラインには似た考えの人が多くてほっとしている。それにしても、殺人犯に共感する政治家がいるだなんて誇張じゃないかと思ったけれど実際のツイートを観て本当に呆れ返った。
そこまでして長生きしたくない、という人が居て私の家族にもそう言う人は多い。ただ、そのそこまでして、というのが何を指すのかが曖昧なことは大きな問題だと思う。
今の段階でも、緩和ケアや在宅終末医療はかなり進んでいる。癌などになっても多くの医療的処置をせず、穏やかな看取りをしていこうという流れはある。私も身内を含め何人もの高齢者の最期を見たけどそこにいわゆる悪あがきのようなものは一切なかった。
逆に、安楽死推進派の人はこれ以上なにを行うつもりなのか。
動けなくなったら生きている価値がない?
そう思わざるを得ない状況、環境のほうがよっぽど病的だ。そう感じる人自体を否定するのではなく、今の社会でそう感じてしまう人はいるだろうけどそう思わなくていい社会を人間は目指すべきなんじゃないだろうか。それなのに、そういう社会を作る義務のある政治家が、2016年のやまゆり園での事件を起こした彼と同じ思想をなんの疑問もなく発信してしまう。
法的に、誰かに安楽死しなさいと言われることはないと思う。誰かが言っていたけど、それが尊厳で、それがよき人間の生き方で、そうでないのは見苦しいというその空気、そんなのが生まれていく。ばかばかしい。
どんなに見苦しくても生きたいと思い生きるほうが、かっこいいと思う。
いま幸せだからそんなことが言えるんじゃないかと思われるかもしれないけど、これまで出会った「死にたい」という人が、いざというときになると、死にたくない、今じゃない、となるのを何度も見たのがこういう考えの根っこのひとつにはあったりする。
私自身のことで言えば、実は死ぬこと自体はそんなに怖いとは思ってないかもしれない。でも、先にいってしまった友人のことを思うとその手段が使えるなら生きるほうを選ばないといけないと強く思っている。
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