「天国と地獄」の本のまとめ

「天国と地獄」という本から抜粋し、まとめてみました。

「天国と地獄」

アラン・カルデック著 浅岡夢二訳

●天国

天国では、悟りの高さに応じた、目もくらむばかりの光を燦然と放つ方々が、きら星のごとく数多く集われる。
天国では、散歩といえば、稲妻よりもすばやく、無限の空間を駆け巡るのです。
霊界でも様々な用事をこなす必要があります。
それぞれが果たすべき使命を持ち、守るべき人々を持ち、訪問すべき地上の友人たちを持っています。
世界から世界を行ったり来たりします。
集いを開き、散っていき、また集まります。
要するに、霊界では一秒たりとも退屈している暇はないのです。

幸福は、共鳴しやすい者同士が思いを共有することによっても得られる。
幸福な者同士は、考え、趣味、感情の同質性によって、お互いに惹かれあい、一種の家族的なグループを形成する。

神から見て正しい人間とは、心の中に傲慢、嫉妬、野心の、どんな小さな種も持っていない人間のことなのだ。
見えない世界においては、心境の高さ以外に価値を測る物差しはない。
したがって、金持だけれど傲慢な人よりも、貧乏だけれど思いやりがある善人の方が、その境涯は高いのです。

●天国でも地獄でもないあの世に行く人

私は地上にいたとき、時間を有効に使わなかったことを悔やんでいるのだ。
私は人間の目から見て正しいと思われる生き方はした。
だが、人間の目から見て正しいのと、神様から見て正しいのとでは、雲泥の差がある。
人間界では法律をしっかりと守れば、正当な生き方だとされる。
ところが、人間は人の名誉や幸福を奪っておきながら、それを自覚せずに平然としていることがしばしばあるものだ。
しかも、そうしたことは、法律でも世論でも罰せられない。
神の法で正当とされる人間とは、愛をこめて人々にひたすら尽くし、善のために全生涯を使い、同胞の進歩のためにすべてを捧げた人間のことだ。

●地獄

私は地上で無用な存在として生きてしまいました。
自分の能力を人のためにまったく生かさなかったからです。
私は、財産を自分のためにだけ、つまり、自分の欲望を満たし、自分に贅沢をさせ、虚栄心を満足させるためだけに使ってしまいました。
身体が喜ぶことだけをして、魂が喜ぶことは何もしませんでした。
地上にいたときに幸福であった人々がその後どうなったかはわからないでしょう。
富を自分の楽しみのためだけに使った者が、その後どのような犠牲を払うことになるか、あなた方には見当もつかないでしょう。
傲慢こそが、人間を襲うあらゆる苦悩の原因なのです。
名誉と富への渇望が、良心の叫びを押し殺してしまったのです。

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