満月書簡
よしみさん
お久しぶりです。
とはいえ、今年もズームでお会いできてゆっくりセッションを受けられて良かったです。
我が家から昨日はまばゆい満月を見上げました。
それは1年前より、ずっとすっきりとした気持ち。
情けなくて、やり直したくて、かっこ悪くて、どうしていいのかわからない、誰かに教えてほしい、そんな気持ちだった。
その気持ちの源は愛され認められたかったんだ、よしよしそうだったのか、という気持ちに変わった。
ただただずっとずっと私は私のそのままを認め受け容れ、肯定してほしかったのでしょう。
言葉にできるまで、ずいぶん長かった。
自分で自分を受けいれる前に、こうして言語化できる前に子育てをしたから比べてしまったり、怖がったり、本当にひどいこともしたなぁ。
価値観を押し付けられ、大人の顔色を窺って過ごした幼少期。
教師だった両親は優秀で立派な子を求め、平気で他人とわが子を比べていた。比べられることが当たり前だったので、それが普通だと思っていた。
他人との比較癖は私の中で、今も非常に根強くて苦しみの一因だ。
この価値観はかくも素晴らしいという理由で絶対的な信頼で押し付けるが、こちらからのものはこのように良くないという理由付きで軽んぜられる。
自分の判断の正しさには絶対的な自信があり、こちらの声は届かないという人に育てられた。
親である前に教師だったといえるでしょう。
そんな抑圧から、10代の頃の我が家は地獄絵図。兄は何度も警察にお世話になり、両親は大喧嘩。親子、夫婦の殺人未遂現場もあった。
ああだけはなりたくない、という気持ちですべて逆を選んで生きてきたともいえる。
一方嫌いになり切れず、それでも期待に応えようとしてきたところもたくさんある。
反対を選んできたようで、私もまた同じように価値観の狭さとプライドの高さで苦しんだ。
自由にみえていた職業には、守られた世界では知らない厳しさがあった。
その厳しさに恐れおののいたし、自分の実力不足を認められなかった。
幼き頃に認められなかった私の価値観を、社会で試してみたかったのだ。
やっぱりこれじゃダメなのか、とあきらめかけていたけれども、色んな人が今も背中を押してくれている。
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