コメディではない


ちょっとだけ書きます。

「Black Out Tuseday」と称したストライキの発生。

ジョージ・フロイドさんが警察官に首を押さえつけられ亡くなった事件が、黒人差別への抗議につながった。

現代、人種差別なんてとうの昔のことだろうと意識している人は山ほどいると思う。私もそうだ。正直、肌の色で差別を受けた体験もないし、実感もないので「黒人差別は今は”時代遅れ”」と思っていた。時代遅れの言葉の中には、他人事にしたような無責任さが含まれているのはしょうがない。それくらい興味がなかったと言えるだろう。


つい2週間ほど前にスパイク・リー監督の〈BLACK K KLANSMAN〉(ブラック・クランズマン)という映画を観たところだった。アダム・ドライバーがダブル主演しているから、と暇つぶしに観た作品にしては社会的なメッセージ性の強い内容だったので衝撃があった。

ジョン・デヴィッド・ワシントンが演じる主人公はアフロ頭の黒人の警官で、相棒のアダム・ドライバーはユダヤ人。白人至上主義のテログループに潜入し、危険な状況で自分たちの正体を隠しながらテロを防ごうと奮闘するスリリングでジョークたっぷりなストーリーだ。そして人種差別は現在も根強く存在している旨をラストにズバッと入れ込んでくる。

あえて。黒人は、自分たちの風貌や生い立ちに誇りを持とうと集団で立ち上がる。堂々と振る舞おうと強気になって立ち向かおうとする。感情や意思を表に出すことを恐れないよう心に誠実にありたいとしているように見える。そうせざるを得ない環境があまりに多いから。ユダヤ人は見た目は白人と同じ、自分の身分が他人にバレないようにひっそりと生きている。もしくは自分自身に身分を意識しないよう仕向けながら生きている。ユダヤ人であるという先入観が、見た目関係なく区別の目を養ってしまうことを植え付けられるように知っているから。

偏見を持たれてしまうことが前提なので、その壁を壊していくのにとんでもなく労力を費やさなくてはならない。これが人種によって条件が異なる世の中は存在する。”普通に考えて”おかしい。でも、おかしいと思うことの方が普通じゃないってことをまずは知っておかないといけない。


わたし単位でできることは、人種差別の存在を認知し続けること。そして、差別をしないよう務めることだと考える。前回、書いたように人を傷つける行為にはっきりした線引きはないので、差別も同じように都度立ち止まり、振り返って改めていく努力を継続させることが不可欠だ。国が違うから、ではなく、違うからこそ周囲に位置づけられるわたし個人単位でもそういった努力を心に留めておこうと思う。

〈BLACK K KLANSMAN〉はAmazonプライムで視聴できるのでぜひ観て欲しい。

わたしが読んだ考察はこちら。とても分かりやすかったです。映画を観たらセットでどうぞ。

https://www.club-typhoon.com/archives/2019/03/22/black-kkk-movie.html#i-8

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