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南野陽子さんに憧れてカンボジアに行ってみた~キリングフィールド

2024年1月後半に訪れたカンボジア。
今回は、「キリングフィールド」を紹介すると共に、S21と合わせてカンボジアの内戦遺構を訪ねて考えさせられたことを共有します。

※今回は南野陽子さんは一切関係ない内容ですが、カンボジア訪問記はシリーズとしていきたいと考えているので、タイトルに含ませていただいています。↓

↓S21はこちら。



-施設概要

https://maps.app.goo.gl/8pVzv56dBx2m91w79

営業時間 :7時半から17時
入場料ほか:大人3ドル(音声ガイド無し)or 6ドル(多言語対応音声ガイド付き)、12 歳未満の子供は無料
オープン:1988年

キリングフィールドは直訳すると"殺し広場"という意味になります。

この地をキリングフィールドというのはあくまで俗称で、カンボジア全土で同じようなキリングフィールド300か所近くあり、そのうちの代表的な場所としての1つだそうです。正式名称は Choeung Ek といいます。

ここもS21と同様、音声ガイドを借りて見学されるのがお勧めです。

では、順路に沿って各スポットを紹介していきます。

敷地内は内戦時当時に存在した建物はほとんど残されていませんが、歴史や往時の建物の様子がイラスト案内板(+音声ガイド)にて紹介されています。

中央の慰霊塔が目立ちますが、それは最後。右から1周していく感じで回っていきます。

構内図
画像引用元:https://www.gocambodia.tours/choeng-ek-killing-fields/

-トラック停留所跡

これから拷問されるとは何も知らされずにS21からここまでトラックで連れていかれた。

-留置所跡

足枷をかけられた上に、暗く、互いのことがわからないような環境の留置場に拘留された。

-薬品倉庫跡

DDT(有機塩素系殺虫剤)が主に貯蔵されていた。
処刑後に死体を土に埋めると腐臭が生じるため、DDTはそれを防ぐために収容者の食事にも混ぜられたほか、匂いを消し、カモフラージュするのに使われていたという。

-処刑に使われたサトウヤシの木


サトウヤシの木のとがった部分は本来ならば鶏ののどを切るのに用いられいたが、
処刑具として使われた。
画像引用元:https://whatthesaintsdidnext.com/choeung-ek-genocidal-centre-the-killing-fields-phnom-penh-cambodia/
木の棒にしたもの。
職員による解説が偶然行われており、”執行者はサイコパスであり、何人も殺していると次第に無感情になっていった”と語っていた。

-処刑道具貯蔵庫

処刑道具には銃火器等は一切使われず、斧や農具が中心だった。

一方、南国らしい自然の光景も広がっています。(上述の構内図だと上の方に描かれている池)

外の様子を覗いてみると….奥に見えるのはイオンモールです。
田園の奥にポツンと建つ巨大イオンモール、カオスな光景に思えました。

奥に見えるのが、2023年にできたばかりのイオンモール・ミエンチェイ

-発掘されてくる歯や服

内戦が終結しこの地が発見されて40年以上の月日が流れましたが、今でも職員の発掘作業や雨などによって、歯や服が出土してくるそうです。

見つかった歯。
見つかった服。


拡大写真。

-マジックツリー


この木は菩提樹ですが、”マジックツリー”と呼ばれています。

 スピーカーを吊るすのに使われた。
悲鳴や音を外に漏らさないため、スピーカーからは革命歌が大音量で流されていたという。

-キリングツリー


そして、この地の負のシンボルの1つと言えるキリングツリー。
多くのミサンガがかけられており、一見カラフルで華やかな木に見えますが…
この木には恐ろしい歴史がありました。

キリングツリー。

この木に赤ちゃんが叩きつけられ殺されたのです。
両足を持って、鞭のように赤ちゃんを振って「バン! バン!」とこの木に頭を打ち付けられていたようなイメージです。
ミサンガは、訪れた世界中の人々が平和と追悼の意を込めてかけたものです。

内戦の生存者であり、芸術家であるVann Nathによる絵1。
内戦終結直後はキリングツリーも血で染まっていたという。


画像引用元:https://www.feetdotravel.com/the-blog/s21-and-the-killing-fields-why-you-need-to-visit


Vann Nathによる絵2。
母親の前で我が子の赤ちゃんが殺されるという、いたたまれないことが実際に行われたという。
画像引用元:https://faceofnightmare.blogspot.com/2015/04/killing-child-by-vann-nath.html


キリングツリーに隣接した墓穴。
発見された当初、ここから小さな遺骨がたくさん出てきたという。

-慰霊塔


最後に、慰霊塔へ。
献花させていただけると共に、塔の外周を回ることもできます。


塔の装飾の一部に、インド神話のガルーダとナーガが取り入れられている。
ガルーダとナーガは互いに犬猿の仲であるが、ここでは二つが合わさることで、
「平和」「安寧」を表わすシンボルとしての役割を果たしているという。

※以下、閲覧注意




頭蓋骨の数は5000個以上だという。

四方・上から下まで塔全面がびっしり頭蓋骨で埋め尽くされています。

17階まである。クメール・ルージュがプノンペンを占領した日4月17日だったことから、
17階建て構造になったという。
横から。綺麗な状態のものは少ない。

殺された方法を区分するために、それぞれ各色のシールが貼られています。

オレンジ:クリーニングロッドで 黄色:木の棒で叩かれ 青:壁に押し付けられ など


-おわりに~二つの内戦遺構を訪れて

S21、キリングフィールド共に、オーディオガイドでは次のようなメッセージで締めくくられています。
「今日からここを訪れたあなたも、記憶の保管者です。周りの人に、ここで何が起きたのかを聞かせてあげてください。」

両施設共に訪れた方全員が何かしら感じられると思いますが、ただ見て感じて終わりにするのではなく、同じような悲劇を二度と繰り返させない/世界平和に貢献していくうえでできることは何か、考えていくことが大切です。

あまりにも残酷な展示が多いため、全ての方にお勧めできるわけではありません…が、戦争で多くの命を奪った/奪われた歴史がある日本人だからこそ訪れる意味ある施設だと思います。
是非多くの方に訪れていただき、感じ考えていただきたいと願っています。
そして、細かな見方/考え方は一人ひとりによって全く違ったものになると思うので、訪れた方一人一人が体験談を共有してほしいと願っています。

このような形で記事で伝えていくことで、少しでも多くの方にカンボジアや世界の負の歴史を知って頂くきっかけに繋がれば嬉しいです。

総じて、
・歴史を学ぶ意義
・平和の尊さ
・負の歴史から目をそらさず見つめる意義

を大きく考えさせられた場所でした。

私も世界平和に対して大きなことはできませんが、今後戦争の話題について触れる/戦争遺構等を訪ねる機会などがあった際はここで見て・感じたことを思い出して考えていきたいと共に、日本やカンボジアの負の歴史を後世に伝えることでも、選挙の一票や署名なようなものでも…改めて、小さなことからでも世界平和に対して貢献できるよう努めたいと思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました。オークン!




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