長唄「土蜘 上の巻」(切禿)解説

歌詞

浮き立つ雲の行方をや 浮き立つ雲の行方をや 風の心に任すらん 
此処に消え 彼処に結ぶ水の泡の 浮世に廻る身にこそありけれ 
実にや人知れぬ心は重き小夜衣の 恨みん方もなき袖を 片敷きわぶる御夜詰は 
君を守護なす両勇士 実にただならぬ多田の御所 武将源の頼光公 御心地例ならず 
医祷百計たゆみなく とりどりさまざまの色を尽して 夜昼の界も知らぬよそほひの 
心尽しに身を責めて 鬼を欺く武士の 思ひに沈むばかりなり 
小夜嵐 身に沁む程に物すごき 宿直の武者も扨こそと 眠気ざましに取る煙管 
火皿のけむり立ち昇る 折しも丑三頃 しんしんと更け渡る夜も烏羽玉の

切禿 都育ちか京人形 ちょこちょこ歩むうしろ紐 お茶の通ひのにこにこにこと 
合点合点潮の目 かぶり振り振り降らぬ間に 摘みて置けとは 栂の尾山の春の若草 
茶の木の事よ ちゃちゃに浮かして やっこのこのこの このお茶まゐろ と差し出だす

さても優しき童と 顔しげしげと打ち眺め そは誰人の子なるぞや 
月の澄む 軒端にかかるささがにの ありやなしやの身を如何に 
その月の数覚えてか さればいな お月様いくつ 十三七つ 雲かかれば 風を以て吹き払ふ 
大千世界はさて如何に おおそれこそは凧のぼり 清く澄めるにだまくれて 伸せば伸びる糸筋の 
たなびき昇って天となり 切れて落つれば 地となりぬ 
又隠れんぼの始まりは 遠つ神代のその昔 天の岩戸に隠れんぼ 今に伝へて神国の 子供遊びとなりにけり 
雛の祭りは 嫁入の手習ひ 幟兜や菖蒲打 菖蒲刀は如何に如何に それは武芸の始めなり 駒の手綱をこれこれかう取って

赤貝馬のしゃんしゃんしゃん しゃんと乗っては 手綱かいくり かいくり 轡の音は りんりんりん 
天晴お馬の 上手と 上手が 乗ったか 乗ったぞ しとしとしと それそれそれと 
化生は忽ち頼光の 寝所を目がけ入らんとす 
こは心得ずと公時貞光 支へ止むる袖袂 かいくぐりかいくぐり 此処に現れ彼処に失せ 
業通自在のその振舞 やア小癪なと無二無三 一度に刀抜き連れて 払へば 後ろに 有明の 
突き止めんにも居もためず 狙ひもためず切髪の 姿は消えて失せにけり 姿は消えて失せにけり

【解説】

文久二年(1862)八月、三世杵屋勘五郎作曲。
長唄の「土蜘」は二種あり、一つは『新古演劇十種の一』として能の「土蜘」を舞踊化し明治十四年六月新富座で初演されたもの、もう一つは常磐津「蜘蛛糸梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」を改作し長唄として作曲したもので、原曲に準じ上・中・下の三段が作られ、土蜘蛛が切禿(おかっぱ)の童となって現れ頼光の寝所に入ろうとするが頼光を守護する四天王の坂田金時・薄井貞光に追い払われる上の巻、仙台座頭となり奥州浄瑠璃を語る中の巻、僧となって現れるも頼光の持つ名刀「蜘蛛切丸」により退治される下の巻とある。「土蜘・上の巻」を「切禿」と呼ぶ。
次第(『しだい』・能における人物登場の際の囃子)から始まり、「浮き立つ雲〜」は雲の動く先は風まかせであるという意味、「雲」と「蜘蛛」をかけ冒頭に持ってきている、「ここに消え〜」は藤原公任の和歌の引用、人間の身の上は水の泡の様に定めないものであると詠み、頼光が病に悩む姿を暗示する。
「実にや人知れぬ〜」からは、鬼をも打ち倒す勇将頼光が医学も祈祷も効かぬ病に悩み苦しみ、それを摂津の国(大阪府北西部と兵庫県南東部)多田里の御所にて守護する両勇士金時・貞光の様子を述べる。「小夜衣」は真綿の入った夜着、「御夜詰」は夜勤・宿直。「よそほひ」は病状。
「小夜嵐〜」からは次第に夜が更け丑三つ時(深夜2〜3時の間)となり鬼気迫る雰囲気を醸し出す。「烏羽玉」はヒオウギの種子、黒くて丸い、「夜」や「黒」の枕詞であり夜が更けたことと続く切禿の髪の黒さにもかかる。
「切禿〜」からは土蜘の化けた京人形のように美しいオカッパ姿の童が現れて濃茶を給仕する様子を唄う。「潮の目」は目元を細めた愛嬌 のある目つき、「栂の尾山」は山城国(京都中南部・右京区)にあるお茶の名産地。
「そは誰人の〜」からは切禿と武者(金時・貞光どちらかは不明)の問答。
「そは誰人〜」どこの子であるかに対しては「軒端にかかるささがにの〜」と自らを軒に糸を垂らす「ささがに(蜘蛛の異名)」の様にあるかないかわからないような存在で、誰の子であるかなど問題ではない、と返す。
「ささがに」は「日本書紀」允恭記(允恭天皇の時代)の衣通郎姫(そとおりのいらつめ)の句「我が背子が来べき夕なりささがねの蜘蛛の行ひ今夕著しも」からの引用で、元は「ささがね(笹の根)」であったのが音の類似から「ささがに」となり蜘蛛を引き出す枕詞、そこから蜘蛛そのものを指す様になる。元々は蜘蛛が人の衣に着くと客が訪れるという俗信から、今日は背子(恋人・夫、この場合天皇)が自分の元におとづれてくれるかも知れない、という恋心を歌ったもの。謡曲「土蜘蛛」長唄「蜘蛛拍子舞」等の土蜘を題材とする作品では人の訪れを妖怪の出現に転じさせ使用される。
「その月の数〜」から「駒の手綱をこれこれ買う取って」まではわらべ唄、こども遊びを中心とした問答。
「お月様いくつ」「十三七つ」は童謡『お月さんいくつ』より、十三夜の七つ時(4時ごろ)を指し、出たばかりの若い月のこと。
「大千世界」は仏教用語で仏の教えの届く範囲、広大な宇宙を指す、これを天にも登り、糸が切れれば地に着く「凧のぼり(凧上げ)」の様であると返す。
続いて「かくれんぼ」の始まりが「天岩戸」の神話から子供遊びに転じたこと、「雛祭り」は嫁入りの為の稽古。「幟兜、菖蒲打、菖蒲刀」はどれも端午の節句にまつわるもので武芸の始まり、「菖蒲打ち」は菖蒲の葉を編んで縄状にし、地面にたたきつけて大きな音の出たものを勝ち、または切れたほうを負けとした遊び。
「駒の手綱をこれこれかう取って」から「赤貝馬の合方」となる、「赤貝馬」とは貝の殻に穴をあけて長い紐を通し、足をその貝殻に乗せ、紐を両手に持ちながら馬の手綱をとるような身振りをして乗り歩くもの。
「化生は忽ち〜」からは土蜘が身現し頼光に襲い掛かかり、それを防ごうと金時・貞光との激しい立ち回りとなる。
「業通自在」は土蜘の通力が自由自在の様、「無二無三」脇目もふらず、「有明の」は明け方に残る月のことで土蜘の姿が前に居たかと思えば後ろに現れたことに言い掛け、またその後「突き止めん」に「(有明の)つき」と掛ける、「居もためず」じっとしていない、「切髪の姿」は切禿の姿、追い払われ消え失せる。

こうして上の巻では無事土蜘を追い払い幕となり中の巻、下の巻へと続く。

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