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長唄「安宅の松」解説

【歌詞】

旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の 露けき袖やしをるらん 
都の外の旅の空 日もはるばると越路の末 思ひやるこそ遙かなれ 東雲早く明け行けば 
浅茅色づく有乳山 気比の海 宮居久しき神垣や 松の木の芽山 なほ行く先に見えたるは 
杣山人の板取 川瀬の水の浅洲津や 末は三国の湊なる 蘆の篠原波寄せて 靡く嵐の烈しきは 花の安宅に着きにけり

落葉掻くなる里の童の 野辺の遊びも余念なく こりゃたがめづき ちっちゃこもちや桂の葉
ちんがちがちがちんがらこ 走り走り走りついて 先へ行くのは酒やのおてこ 後へ退るはおほかみきつね 
あまが紅つけて 父や母に言はうよ 言うたら大事か そってくりょ 葉越しの葉越しの月の影 

裏のなア 裏の背戸やの今年竹 笛にせうもの草笛に 笛になりたや忍ぶ夜の 笛は思ひを口うつし アアアアしょんがいな しょんがいな 
忍ぶ 忍ぶ其身は安宅の松よ 雪の夜毎の汐風に 揉まれ揉まれて立ちつくし あれして これして しょんがいな アア面白や 
絶えずや絶えずや 子宝一に千石米蔵 常陸の国の角岡に 黄金の花が咲いたよさ 
にっこりはっこり ホホホ ホホホ ほほほほほ お笑ひめしたはしっかい在所の 
庄屋殿だんべい いっかいいっかい いっかい俵に 酒樽千倍 万倍 万倍 万万倍 
うっておけ しゃんしゃん うっておけ しゃんしゃん 神の鈴はしゃんぐしゃんぐと 
さっても揃うた子宝 一度に問へば おとよ けさよ 辰松ゆる松だんだらいなごにかいつくぼう 
ひっつくぼう かいつくひっつく しゃんしゃん 扇になじむ風の子や 風の木の葉の散りぢりに 里をさしてぞ 

ゆめゆめ疑ひ荒磯の 砂を飛ばす土煙り 梢木の葉もばらばらばら 
俄に吹来るはやち風 天地も一度に鳴動して 岩石枯木ゆさゆさゆさ どろどろどっと山颪の 
風かあらぬか其姿 見失ひてぞ 見失ひてぞ立ちにける


【解説】


明和六年(1769年)十一月作曲。本名題「隈取安宅松」。
長唄の名曲「勧進帳」と同じく壇ノ浦で平家を滅ぼし京に凱旋するも兄頼朝に追われ奥州(陸奥国とも。現在の福島、岩手、宮城、青森に渡る令制国)落ちをする義経に取材した作品。

藤原秀衡を頼り奥州平泉(現在の岩手県南西部)へと向かう義経に付き従う弁慶、実は鞍馬山の大天狗「僧正坊」、が安宅の関の手前で名木「安宅の松」の下で落ち葉を掻く里の童に都名物の扇を与え、近道を教えてもらうというもの。
大体の趣向は幸若舞(室町時代に流行した舞を伴う語り物)の「富樫」、近松門左衛門作の浄瑠璃「殩静胎内捃(さんにんしずかたいないさぐり)」の四段目から取材した唄浄瑠璃であり、夢幻的で荒唐無稽な節の見られる内容、また所々にセリフがあるものを唄部分だけを繋ぎ合わせて演奏するため意味が通らない部分も多い。

「旅の衣は~しをるらん」

は次第(『しだい』能における人物登場の際の囃子)くずし、そこから「花の安宅に着きにけり」までの道行は勧進帳と同じく謡曲「安宅」から借用したもの。
「篠懸」は山伏の法衣、「露けき袖やしをるらん」は野山を行くため草木の露に濡れることと、悲しみに打ちひしがれ涙で袖が濡れるの意。
「都の外の旅の空」~「花の安宅に着きにけり」までは旅の道行を唄い。「日もはるばる」日数のかかる、「東雲」夜明け方。

続いて越前(福井県)から加賀(石川県)へ越す地名が続き
「有乳山」近江(滋賀県)と越前の境の山、「気比の海」敦賀(福井県南西)の海、「宮居久しき神垣」敦賀西北にある気比神宮、「木の芽山」福井の嶺北と嶺南を分ける峠・木の芽峠、「杣山」福井県中央南越前の山、「浅洲津」九頭竜川、「三國の湊」福井県坂井市三国町の港、「篠原」加賀市篠原町、そして本作の舞台となる「安宅」石川県北西に到着します。

「落ち葉掻くなる」~「葉越しの月の影」

までは里の童の遊びで、当時の童謡が取り入れられる。
「たがめづき」は「誰が見つけたのか」の意、「ちっちゃこもちや桂の葉」は「あふち(樗・ビャクダンの古名)やこぶし(辛夷・田打ち桜)や桂の葉」が誤って伝わった童謡でかくれんぼのこと。
「ちんがちがちがちんがらこ」は片足跳びをする時の拍子詞、「おてこ」は小僧(手伝い)のこと、4本足であれば足の速い「おおかみきつね」も片足跳びでは遅れを取る。
「あまが紅つけて」は出家した尼が隠れて男を作るも父母にばれ髪を剃られてしまうという話、「葉越しの葉越しの月の影」は元々「坊主坊主大坊主」という歌詞であったが、作曲の吉治が有馬侯の屋敷に呼ばれて演じた際、有馬侯が坊主であったのを見て咄嗟に歌詞を変えて唄って以来「葉越しの」が用いられるようになったと言われる。

「裏のなア」

と「忍ぶ」は当時の流行歌、「しょんがい節」とでもいうようなもので有馬節の変形したものという説。

「絶えずや」

からは、常陸国の鹿島宮司の下男の文太という正直者が、主人に追い出され角岡の海岸の塩焼が浦というところに流れ着く、人の情けで塩釜をもらい塩を作るとそれが無病息災になると大売れし億万長者になった。更に産まれた娘二人も都に上って貴い身分となり出世をしたというお伽噺を歌ったものでこれを背景にしないと歌詞の意味がわからない。
「はっこり」はにっこりを受けての意味のない拍子詞、「しっかい在所」はそこいら中の村、「庄屋殿」村落の長、「いっかい」沢山の、「しゃんしゃん」は手を打つ囃子ことば、これを受けて鈴の「しゃんぐしゃんぐ」を持ってくる。
「おとよ、けさよ~ひっつくぼう」は『式三番』という謡曲で、10人の子を持つ三番叟が子供たちを一度に呼ぶための詞からの引用。

「扇になじむ」

からは安宅までの近道を教わったお礼に扇を渡し、「扇」からの連想で「風」、「風」から「木の葉」と子供たちが去って行く姿を描く。

「ゆめゆめ疑ひ~」

からは弁慶実は僧正坊が天狗の姿を現し飛び去り段切れとなる。


ー義経一行安宅の関までの道行ー


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