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ムスメ、初めての籠城記念日。

籠城されて閉め出しをくらってる中『籠城記念日』って書き始めたのは、
後で笑い話になる。笑い話にするって思ってないと糸が切れてしまいそうだったから。
本当は、気を抜いたら不安で泣いてしまいそうだったから。

イエニハイレナイ。イミガワカラナイ。

124年ぶり?でしたっけ??の、2月2日の節分の夜。
早く帰ってとっととゴハンにしてお風呂であったまろうと思ったワタシ。いつものように車をおいて玄関のカギを開けて勢いよくドアを引っ張った。

ガチャっ!!って鈍い音。うっすらとしか開かないドア。

。。。。。は??ってなりますよね。
なんでやねんなにしてくれてんねんどーゆうことやねんって
、暫しフリーズ。

まぁ思い当たる節はいろいろあったから、殻にこもったなとは思ったよね。

学校に【普通に】行くのがしんどいことについて、心配でたまらない両親(じぃじ&ばぁば)たちとの衝突もあったし
朝起きて朝ごはん一緒に食べよって言うてたのにシカトして起きひんかったちびっ子に朝っぱらから怒って出掛けたし。


ドアロックがかかってて、自分ちに入れない。
ピンポン押しても応答なし。
電話しても無視。

寒いしお腹減ったし眠たいし気分はサイアク。だんだんイライラしてくる訳で、車に戻って何回も電話。
ドアの隙間から呼んだり、窓叩いてみたり。

グー○ルセンセイに『ドアロック 開け方』って尋ねてみたり。
ほんで試してみること1時間半。
埒が明かずドアも開かずに冷えていくだけの体。

この時はどんどん不安のモヤモヤした霧が胸の真ん中から広がってくのを感じてて、
ドアロックと格闘することでモヤモヤを振り切ろうとしてたんですよねぇ。。
最悪の想像を振り切りたかった。
どうか、どうか無事で何事もありませんように。それだけ願って3時間。

最終的には鍵屋さんにお願いして、高いお金払って開けてもらいましたよ。
リビングの奥にはテレビも暖房もつけず、ソファーで布団かぶって仏頂面のちびっこ。
ほんまに、生きててくれてよかった。もうそれだけ。

「なんともなくてよかったぁ。。」って頭撫でながらこぼしたら、
ポロポロ涙をこぼしてました。
ほんで、お腹減ったって言うから(そらそうやろ22時やし)ゴハンにして、
結局なんで籠城するに至ったかまでは分からないまま。
号泣するムスメをよしよししながら寝ましたね。

そして思う。この子がこうまでして私に見せてくれてるサインは何だ。
私の中の、どんなものと向き合う時?


姉さんのド正論がさく裂の夜。

次の日私の実家にて、ばぁばや叔母(私の妹)たち、ホームステイ中の姉ちゃんも交えて話をしようと試みる。
頑なに『だんまり』なちびっこに、とうとう受験直前でピリピリ姉さんがぶち切れました。

姉「しんどいしんどいって、そうやって何にも言わんと閉じこもってるから余計にしんどくなんねん!!なんかあるんやったら言うたらええやん!!!」

叔母「そやねん。るいの言うてることは正しいねんな。でもゆんは、言うてしまったらママがもっとしんどくなると思って言えへんのかもしれんな。」
私「自分の思いを上手く伝えようとする人にとっては、『言うたらええやん』って言われるのはすごくしんどかったりもするしなぁ。」

姉「そうやってしゃーないって言うて黙ったままで、よけいにママはしんどくなってるやん!!どーしたいねんちゃんと喋れ!!!」


そやねんなぁ。。姉ちゃんの叫びはとことん正しい。
そして自分でもどうしたいのか上手く言葉に出来ないでいるちびっ子も、また同じく正しい。
どっちもそれぞれのやり方で、ハハにしんどい思いをさせたくないと示してくれてるんやなぁって思って。

やっぱり改めて、
【子どもが親に向けてくれる愛は最強】
ってことを痛感しました。泣けました。


私もまた、ハハを愛するムスメでもある。

それを黙って聞いてたばぁば(私の母)がね、
「直美も心配かけたくないって何も言わんかったん?いつも良いことばっかりしか言わんかったよなぁ。」
って、ぽつんってこぼしてね。

私は、ガマンしてるっていう感覚はなかったかなぁ。
『お母さんにしんどさを共有させるっていう選択肢が私の中になかった』っていう方がしっくりくる。
お母さんは娘のしんどさを自分のモンにしてしまう人やし、ただでさえ忙しいしんどいお母さんを余計にしんどくさせるのは分かりきってたから。

私は泣いたら「泣くな」って怒られて、
納得いかへんからふてくされたら怒られて、
それどころか「オマエのしつけが悪いから」ってお母さんが怒られてるのを知っちゃったら
そら感情も何も出さんようになるよね。

そのまま大人になって、
どうにもならんくらいしんどくなって病気になってから、

もっと素直に思ってること言えとか
なんで親に打ち明けてくれへんかったとか

今さら私に向かってそれ言う?って思ったなぁ。。


って、改めて娘としての思いを母に打ち明けることになった。

ただただそのままの自分を受け止めてほしかった小さな私が
自分とお母さんをを守るために必死で努力してたことを初めて思い知ったかも。
やっぱりね。子どもが親を想う気持ちは世界最強。


心配のエネルギーを向けられるのがしんどい系ハハコです。

ウチの両親、特に父親はものすっっっごく心配性。
家族のことが気になってしゃーないし、口も出しまくっちゃうタイプの人。
おばあちゃんもそうだったから、『心配』っていうのが父にとっての愛のカタチなんやろうなぁって
親になって病気になっていろいろ学んできた今は思うこと。

父が父親になった29歳、30代と歳を重ねてきて
あの頃の父と同世代の男性の幼さも知ってきた。
親になったからって、万能にはなれない。
誰かの親じゃなくても、成熟出来る人もいるけど。
私だって、むしろムスメたちに今の私は育ててもらったと思ってるくらい。

私は物心ついた頃から感情の波に敏感な質で、
日々心配のエネルギーや苛立ちを感じるのがしんどくて
でも嫌だとか反抗したところでもっとしんどくなるから
どんどん外の世界に逃げるようになってった人。

ムスメたちもそんなところは受け継いじゃって、
それに加えて
【コントロールしようとするな!!!】という鋼の意思をもってる子たち。
心配のエネルギーを向けられるのがイヤ。
自分で決めたことはちゃんとやるから。
自分が決めて、自分のタイミングでやる。

アドバイスは聞くけど、
少しでもコントロールの意思を感じ取るとシャットアウト。
絶対こっちの言うことなんか聞かんから、どうにかしようなんてことはもう諦めた方がいい。

私も心配のエネルギーを向けられることと
心配を解消するためにコントロールしようとされることが
心底イヤやったんやなぁって
ムスメたちと向き合うことで気付かせてもらったのね。



どんなにしんどいと思っても
私が欲しいのはそれじゃないって言えなかった私と、
どんなに娘のことを思って選んだ言動でも
心地良くなかったら絶対イヤって断固拒否な娘たち(笑)

長女は比較的、言いたい時に言いたいことを言いたいように言ってくれる。
『好き勝手に言い合いが出来る家族を作りたい』
っていう私の夢を叶えてくれた子。

次女は本当に、優しいし恐がりやし周りの空気や視線ばっかり読んでしまう。
私が幼いころにどこか深くに押し込んで見ないようにしていた感情を
自分が体現することで『あの頃の私』を抱きしめてよしよし癒させてくれる子。

姉さんのおかげで、私はずっと憧れてた友達みたいにケンカできるハハコ関係を楽しめて
ちびっ子のおかげで、私は過去の傷や恐れを癒しながら優しさと強さをブラッシュアップ出来ている。
2人がそれぞれの優しさと強さを持って、私のところに生まれてきてくれた。これってすっごい奇跡だ。


私は私のまんま、望むものを手に入れたらいい。

またひとつ、両親に向かって(わたしにとっては物凄く)言いにくいことを伝えることができた。
小さい頃と違うのは、妹たちが間に入って寄り添ってくれること。
姪っ子たちの思いも理解して、味方になってくれること。
ひとりじゃないって、最強だ。
(2020年、H家史上初めてのジャニーズブーム到来。3世代で毎日Snow Man)

ちびっ子のしんどさが劇的に解消したわけでもないし、
状況がガラっと好転したわけでもない。
でも少しずつ、不満とかしんどさを言葉にしてくれるようになったし
相変わらずイヤなことは絶対にイヤ(笑)

言いなりになるのは違うけど、
ママにはおもいっきりぶつかっても大丈夫って思ってくれたら嬉しい。
益々、大丈夫な自分で在りたいとも思う。
しんどい顔は見せたくないな。

これからもっともっと、幸せな私になっていこう。
望むもの全部、叶えちゃおう。


2人揃って大吉!!
ハハは中吉!

自分と深くつながれば
本当につながるべき相手と結ばれる❥

byりんごろししょー。

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