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ちびっ子の不登校と、私の心の内側と。

魔法の質問を学び始めて5年程。
生き辛さはほとんどなくなって、鬱の薬を飲んでた頃のことはほとんど思い出せないくらい。


良いお母さんでいたかった私によしよししつつ
素のまんまの私としても、ムスメたちとの関係を育んでこられたとも思ってる。

でも、学校に行きたくなくなった娘とは、どうも上手くいかなかったんですよねぇ。。

理由を聞いても、先生や両親と一緒に対策を考えてみてもダメ。
行きたくない理由も教えてくれなくて。
(というか、今思えば上手く言葉に出来なかったんやろうけど)
何か話をしたいと思っても、泣いてばっかりで過ぎていく時間。
自分も仕事がハードやから体力的にも余裕無しでイライラ。

そんな時に、魔法の質問を初めて学んだ
LOVEのししょーでもある『りんごろさん』のブログが刺さりまくり。
なぜか、ししょーはいつも私にとってタイムリーな話題を提供して下さるのです。


気づいてやれなかったことを反省はしても、
わたしが落ち込むことはなるべくしない、というか表には出さない。

親のわたしが落ち込むことは、その子の悩みがわたしの悩みにすり替わるから。
親がワーワー言ってしまう場合、この傾向が強いと言える。


これを読んだ時に、一気にいろいろ腑に落ちた気がした。
私は、我が子の出してくれてるサインに気付けてなかったなぁ。っていう後悔と申し訳なさと。
落ち込んだししんどいって言いまくってたし、まさにワーワー言うてましたね。
あーかっこ悪。


その時点で子どもは
「自分の悩み」を本当に聞いてくれる人を失う気持ちになると思う。


誰よりも自分が、1番この感じを分かってるのにね。
私の記憶に残る大人たちは、子どもの問題を自分の悩みにする人が多くて。

しかも母はいつもいつも忙しくて、心も体もしんどそうに見えてたから
母に甘えたり頼るという選択肢は、これまでの人生で持ち合わせていないもので。

今のちびっ子と同じ歳の頃に
クラスの女子ほとんどに無視されるという時期があったけど
母には一切言ってなかったんじゃないかな?
学校を休むこともなかったし、
先生に相談した覚えもない。

幼なじみを始め男子は普通に接してくれてたし、
(たぶんそれで余計に女子には反感を買うハメになったと思うけど)
他のクラスでバスケが一緒の子も普通に仲良くしてくれてたし、
そもそも女子のグループがあまり肌に合わない性分やし。

まぁそもそもそんなに気にしてなかったのもあったけど、
母に『いらん心配』をかけるのが本能的にイヤなんやなぁと思う。それは今でも。

今、孫(うちの姉ぇさん)の高校受験で厳しい現実を目の前に
「お陰さんで私は全然受験で悩んだ覚えないなぁ…」
って呟いてくれてました。
学校の授業と自力で高校も大学も志望校余裕GIRLやったしね。(えっへん( ・`ω・´))

ただ、感受性は豊か過ぎるし自分で何とかしたいし気付いた時にはめっちゃしんどいし
突然手がつけられない程落ちる時もあって
結局寂しい悲しい心配な思いをさせてきたと思う。

私も母にはなかなか言えなかったし。
大好きなおじいちゃんが死んでしまって
自分の土台が大きく揺らいだ高校生の時は、
幼なじみの家にしばらくホームステイさせてもらってた。
きっと、私の母が双子ママにSOSを出してくれたんやと思う。

双子の兄弟もパパもママも、
何があったとか何も聞かず、
私をどうにかしようとせずに、
いつもどおりに今からおいでーって。(確か夜遅かった)

いつもみたいに2人がゲームしてるの見ながらマンガ読んだりして、

ええ歳した(思春期真っ只中の)男子2人が
「直美は頑張り過ぎるからなぁー。」って
両側に布団並べて手を繋いで寝てくれて(笑)
出せなくなってた声が、体や喉がゆるゆるとほぐれて次の日には流れるように出てきたの。
(ママは私の寝顔を見て、もう大丈夫やって思ってたらしい)

『ここでは頑張らんでいいよ』っていう
私をまるごと受け止めてくれる場所でしか
力を抜いてふにゃふにゃ出来ないタイプのワタシです。


母の方は、わが子を自分で救ってやれなかった寂しさがあったんじゃないかと
母には自分が寄り添えない無力感を感じさせてしまったんじゃないかと
自分が母親になって気付いたな。

娘にとって、H井家にお願いすることが最良なんじゃないかって。
その時出来る最大限のギフトをくれたんやなぁって。
改めて、感謝で胸がいっぱいになる。

今でも忙しそうなのは変わらないし、
昔より体調を崩すことも増えるし、
母に頼るのはやっぱりいつも気が引ける。

でも孫たちのことをお願いされるのは嬉しいらしいから
お願いする練習中でもあります。
おねがいしちゃって、しんどくならんかな。っていう私のココロとのせめぎ合い。

不登校って「止まる」サインだとも思うのね。
すべてを止めて、本人が自分に向き合っている時。

そしてそれは
一から作ろうとしている時なのではないかと。

無意識だとしても、大きな決断であることは確かだから
そこに寄り添い続けたいとわたしは思う。


この子もまた、子どもの頃の私みたいに
ホッと力を抜ける場所を求めてるのかもしれない。

人より早く、人生の迷路に自分から入っていって
真っ暗な中でうずくまってるとしたら

私もそこに入っていって、寄り添いたいなって
素直に思えたんです。

わが子のモンダイを自分のモノにはしないで、
モンダイは切り離したままで、ただ寄り添う。
何だか、やったことないから不思議な心もち。

そしたら今まで頑なに閉じ込めてた本音が
ポロポロとこぼれ出したんですよねぇ…。

『ジャッジしないで、コントロールを手放して、ただ質問をおくこと。』

1番基本の大事なことを、思い出して実行しただけ。

どんな気持ち?
どうなりたい?
どうしたい?

尋問をやめて、質問することだけ。
私が変われば、反応は変わる。
改めて実感しました。変えるのは私の行動。


そして、わたしがいちばん心に刻むことは
身近な人は自分の『鏡』だということ。

不登校というサインを『わたし』が同じように持っていて、
それを表してくれる存在がこの子だということを忘れない。

つまりわたしは、わたしの問題の核に向き合うことをやる。
というか、やらない理由がない。


目の前の娘は、私のどんな内面を映してくれてるのか。
私は『わたし』の、どんなサインを見落としてる?
私が目をそらしてきた、問題の核は何なのか。

それを炙り出してくれたのも、またムスメでした。
こっちは姉ちゃんの方ね。
初めての受験を迎えた姉さんが
号泣しながら教えてくれたこと。

36歳。年女はまだまだ学ぶことだらけ。



続く。

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