ちょっとまて、どうしてそうなった!?
「ちょ、衝撃を隠せない・・・・」
「え、どうしてそうなった!?」
「これはツッコミ入れた方が良いのか、ネタなのか」
支離滅裂な文章を読んだ時、あなたもこんな感じになったことはないだろうか?
今日はその違和感について、話していこうと思う。
本好きだからこそ、その違和感はあるのかもしれない
読書にのめりこんでいる時の感覚というものは
本好きにとっては、たまらなく、快感を覚えるものだ。
文章に違和感なく、のめり込むことができる時、
それは、
文章の独特のリズムや、表現方法、読者の知的好奇心をくすぐることなど様々な工夫がなされている。
しかし、これがど素人の書いた文章だと、どうだろう?
誤字脱字はあるし、説明がやたら長ったるいし、筋道が通ってなかったり、というツッコミどころ満載だったりする。
いや、わかってはいる、わかってはいるんだ。
そういうお前はどうなんだ、と。
ツッコミを受けるのは私とて、例外ではないのだから、そのツッコミはよくわかる。
すまないが、私の文章は棚にあげさせていただこう!(偉そう
そう、素人に期待してどうなるものでもないのだから。
とはいえ、
それは、わかっている、わかっているはずなんだ(切実
しかし、私は、それでも、、、、
どうして、この文章こうなった?!
という衝撃を隠せないことが多い!
非常に多い!
どうして、こうなったの違和感の原因
恐らく、その違和感は、作者が様々な文章に触れてきていないからだろう。
つまり、普段の、読書習慣がないから、が、起因しているのだと思う。
プロが書いた文章が、なぜ読みやすいのか?
それは、読者に読んでほしいという目的があるからだ。
一方、読書習慣がない人の書いたそれは、
自分が書いた文章を客観視する、という視点が抜けている。
たとえば、テーマが「論理的思考を鍛える」だったとしたなら、
「私はこの〇〇を鍛える方法こそが、論理的思考を高めることだと思っています」
という結論付けるなら、そのための理由が必要だと思っている。
「なぜなら、論理的思考の定義は、物事を体系的に整理して筋道を立て矛盾なく考える思考法であり、問題について様々な角度から、分析を行い、解決策を行うことが目的だからです。(理由)」
しかし、実際は
「私はこの〇〇を鍛える方法こそが、論理的思考を高めることだと思っています」
までは言えても、理由になるべき部分が主観になって終わってしまう残念な文章を見た時、
「私はこの方法こそが正しいと思っていますから。」(キリっ
(根拠、どこいったーーーーーーーーーー!)
と突っ込みたくなるし、戸惑いが出てしまうこともある。
そのため、読み手側は、はちゃめちゃな文章を読んだ時、期待と違ってがっかりしてしまうように思う。
読み手側の一個人の意見として、
文章はプロ程期待してはいない、
だが、
せめて、
せめて
主観だけじゃなく、自分の文章にセルフ突っ込み入れながら
客観視しながら、書いてくれーーーーーーー! 頼むw(主張)
人のふり見て我がフリなおせ
ということで私も当てはまると思うので、
気を付けたいと思った。
が、次回からだ。(面倒なので)
↑偉そう
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