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day16 自分責めより自分褒め。

怒涛のイベントラッシュを終えて、今日は編集長の仕事。オンライン校正を終えて、インタビュー記事の編集をしていた。

自分の担当ページはこの記事5ページと表紙の他に、小説を4ページ、エッセイを2ページ執筆する予定。データ入稿予定日は8日。無謀か。いや無謀なのだ。


かつてのわたしなら、ここで徹夜してでもどうにかしようとしただろう。そして、あの時のあのスケジュールが悪かっただの、あの人のせいでだの、外的要因を見つけてはウダウダ言っていたであろう。

でも、今のわたしは違う。いともあっさりと諦めたのだ。何故なら、無理して頑張ったところで結果は付いてこないのだ。

今の仲間を信頼しているというのもある。期限を守れないとしても、そんなこともあるよね、と赦してくれる人たちであると。

期限を決めたのは紛れもないわたし自身で、自分の制限に苦しめられているという自爆、いや自縛ネタ。もし仲間がそれをやらかしていたら、大丈夫だから緩く行こうよ、と声を掛けるだろう。

決めごとを守れない自分。ルーズな自分。時間を管理できない自分。ポンコツな自分。
そんな自分を赦すための本をつくっている。

だから最後はこうやって、自分が『目に遭う』という流れが待っていたのだろう。

まず自分がポンコツであれ。そしてそんな自分をまるっと赦せ、と。


今日は太極拳クラスの日だった。
行くべきか止めるべきか、だいぶ悩んだ。

そんなの行く暇あるなら仕事しろ。頭の中に、誰かの声が聴こえる。確かに2時間程度の外出、その時間があれば制作作業は捗る。
そしていつものわたしなら、きっと仕事に充てただろう。

でも今日は、太極拳クラスに行った。仕事で煮詰まった頭の中を空っぽにするにはちょうど良い時間だった。ただし太極拳の動作でいっぱいいっぱいなのだが。

事務所に戻り、編集作業をおこなう。どうにかカタチになるところまでの作業を終えた。

帰り道の車中、わたしは自分責めではなく、自分褒めをした。とにかく褒めちぎった。

凄いよ、偉いよ。あんた天才だよ。デザインも編集も執筆も手掛けられるなんて、ほかにいないよ。しかもクオリティ高いし!もう、凄すぎるよ!天才クリエイターだよ!


実は子供の頃、図工の時間だったか、自分褒めをしてクラスメイトに批判を喰らったことがある。きっと批判した人はそんなの覚えてないだろうし、実際わたしも、誰だったかまで覚えていない。ただその幻のような言葉に恐怖を感じていた。

自分で自分褒めるとかどうなの?しかも締切に間に合わないくせに、褒められたもんじゃないのに、何やってんの?

そんな声が、まったくない訳ではない。でも自分で選ぶことができる。どうせ選べるなら、嬉しくて喜びに満ちたほうがいいじゃないか。褒め一択だろうが。


今日を、愛と喜びと感謝で終える。
この、ささやかなようで壮大な目標のために、1日を生ききる。終わりよければすべてよしって言うからね。しっかり褒めまくって、自分に感謝して終わろう。責めたところで良い結果には辿り着かないのだから。

さて明日というボーナスステージがあるならば。わたしは、書き終えたい小説を書こうと思う。エンディングだけは決めている。あとは指先のおもむくままに書いていこう。

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