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day153 違和感は大切な気づきのサイン。

違和感。これを感じたことがない人は(ある程度の大人であれば)いないのではないかと思う。

例えば共通の趣味があって、一緒に盛り上がっていたはずが、ちょっと自分と相手との盛り上がりポイントがズレている、みたいなことはよくあると思うのだ。

違和感は、ほんの小さなズレだ。大きくズレていると、それはもはや違和感ではなくなる。

違和感が起こる要因のひとつは、人は他人と同じであることに安心感を得たいということがある。出身地や学校が同じとか、歳が同じとか、共通項を見つけると嬉しくなるように。

あの人とわたしは同じ認識を持っている、と信じていたい。その上で、お互いにそれぞれの主義主張をポケットから取り出して見せ合う。
そのとき。え、それはちょっと受け入れ難いと無意識的に感じているのが違和感の正体だと、わたしは認識している。
そしてあくまでも無意識的だから、なんか気持ち悪いなぁとうっすら感じる程度なのだ。

デザインに違和感を覚えるものは、世の中にたくさんある。そういうとき、何処が違和感で、わたしならどうするか?を考える。
それは実に論理的で、自分の中の正解を見つけることに役立つ訓練にもなる。
デザインには正しいひとつの解というものが存在しないから、自分なりの正解があればそれでいいのだ。

他人のやり方や考え方について、違和感が湧いてくるときは、自分ならどうするか?を考える良い機会になる。
あの人のやり方や考え方に納得いかないから、いっそ友達をやめようかな、みたいなことは別にしなくていいのだ。

ちなみにわたしは結構昔から、会社員をしながら『わたしが社長ならこうする』ということを考えながら仕事をしていた。
就業規則や社用ツールなどを見ながらとか。
そのおかげなのかは分からないが、独立前の会社員時代は、社用ツール(ウェブサイト、広告、パンフレットなど)を制作する側の人間として仕事ができた。

人は他人と同じことで安心するくせに、他人より優れていたいと思う厄介な生き物だ。それはもはや癖の一部かもしれないから、上手に飼い慣らすのがいい気もする。

違和感から生まれた『自分ならこうする』という意見は、他人に押し付けるのではなく、自分の中で採用するだけでいい。
これもコントラストの一部なのだから。

そして違和感というのは大概、自分の中でまだ顕在化されていない意識がそうさせている。
顕在化しているなら恐らく、違和感どころか理不尽とか怒りのようなカタチで示されるだろうから。

自分の意識をもっとクリアにしていくために、違和感に気づいてあげる必要がある。それが自分の望む世界の輪郭をクッキリさせる大切な鍵となるのだ。

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