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day289 HSPのわたしから見たASDの相方さん。

相方さんがASD受動型(時々孤立型)であろうという話を先日書いた。
今日は相方さんとの会話について少し触れてみようと思う。

相方さんとの会話は、基本的に[事実ベース]だ。
例えば「なんか雨降りだねー」と言うと返ってくるのは「今週末まで前線が停滞して雨が続くみたいだけど日曜には晴れるみたいだよ」という返事。まるで気象予報士とアナウンサーの、天気情報でのやり取りである。

何処かに遊びに行った後のLINEは大概「今日はありがとう。楽しかったよ」というメッセージが来るのだが、何処に行っても何をしても「楽しかった」のひと言のみ故に、逆にほんとうに楽しかったのか分からなくなる。
それはHSPゆえの考えすぎなのだけれど。

相方さん、学生時代は読書感想文を書くことの意味が分からなかったらしい。ちなみにわたしは、小学生の頃に読書感想文コンクールで入賞したことがあるほどに得意なので、お互いがお互いにワケワカメだろうと思っている。
今でも読書は好きらしいのだけれど、読んだ後は「良かったなぁ(またはそうでもなかった)」で終了するそうだ。レビューどころか何がどう良かったかをまったく語れないのだという。「良かった」は、以上でも以下でもなく「良かった」ということなのだ。

HSPからすると、で?何がどのように?と訊きたくなってしまう。以前、別の話題で「で、実際どう思った?」みたいなことを訊いたら、答えられずに涙目になったこともあった。

恐らく、他人の気持ちに感情移入とか言う前に、自分の気持ちすら読み取ることが不可能なのだろう。読み取るために必要な装置が、言語なのだから。

数年前、相方さんと喧嘩をしたことがあった。なかなか向こうから連絡をくれない相方さんに、一方的にわたしが怒ったに過ぎないのだけれど、返ってきた言葉が「会いたいと思ったことが一度もない」だったのだ。
この時点で3年くらいの付き合いだったはずなのに、一度もないとは。
でもこれこそが、わたしが最初にASDを疑ったキッカケだったのだ。

感情がない訳ではない。車の運転中にちょっと怒らせると、運転が少し荒くなる。わたしが怒ったときは、どうしていいのか判らず、ただ涙目だった。無表情という訳でもなく、ちゃんと優しく微笑むこともできる。
ただ、言語化できないだけなのだ、マジで。

HSPのわたしからすると、相方さんとは感情論でやり取りができないことに喪失感を覚えてしまう。その半面、なんだか不思議なイキモノみたいで、研究対象として観察するのが楽しくもある。

やたらと言語化しすぎるわたしと、まるっきり言語化できなさすぎる相方さんのコンビネーションは、やっぱりどこか必然なのかもしれないなぁと考えたりもする。

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