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day121 占い師として生きること。

春分の日、今日はイベント出店。
わたしはデザイナーの仕事とともに、占い師としても活動しているため、今日は出張占い師。

とはいえ占い師としての活動に関しては、まだ目立ちたくないなーというのが本音。
まだまだ、わたしごときがごめんなさい、と思ってしまうところがあるのだ。

1年前の今頃は、とある占いの館に占い師として出勤していた。数か月で辞めてしまったが、ここで働いたことが、今となってはわたしの心の支えにもなっている。

どんな業種でも、何をもってしてプロと名乗るのか?は曖昧だ。国家資格があれば一目瞭然だが、民間資格はまあまあモノによりで、特に資格が要らないものだと、協会所属とか、誰に師事とかでハクがついたりする。

でも、基本的にわたしは野良だ。
タロットもオラクルも星読みもするけれど、基本的に独学だし、使い方もわたしなりにアレンジしているところがある。
しかも、カードリーディングに関しては、占いの館に勤務しながら自分なりの型を身につけるという成り上がり(上がってもいない)っぷりだ。

元占いの館勤務だけが、わたしを占い師たらしめるポイントだ。
その経験がなかったら、堂々と占い師を名乗ることは、きっと今でも無理だったであろう。

今日来てくださったお客さまたちが、あぁスッキリした!と言って返ってくださる。良かったな、と思う。
館にいた頃は、あの助言で良かったのだろうか?もっと伝えるべきことがあったのでは?なんて、帰宅してからも考えることもあった。
今はもう、そんなふうには考えない。目の前の人と対価交換をして、それ以上でも以下でもないのだ。

カードを引いて、メッセージを届けるとき。明らかに自分じゃない言葉が勝手に口から出てくる感覚がある。
サイキックですね、と言われたけれど、本人は無自覚だし、サイキックでも違くても、どちらでも別に構わないと思っている。

必要な言葉ならば、わたしだろうが天の声だろうが、ちゃんと届くのだろうし、わたしが掲げている[ミライミチビキスト]というテーマに則ってさえいれば、それでいいのだろう。

占い師としての活動、今年はもうちょっと積極的にやっていきたいものだ。とはいえ、無理せず楽しく、緩やかに。

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