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day151 自己肯定感とは。

自己肯定感ってなんだろうか。

本屋さんに行けば、結構な割合で『自己肯定感を高める』系の本を見かける。
みんな自己肯定感が低いことを自覚して、尚且つ高めるべきと思っているからこそだろう。

わたしは世に言うHSP、いわゆる繊細さんなのだけれど、繊細さんは大概、自己肯定感が低い。いや低すぎる。
周りの不機嫌はすべて自分のせいだと思ってしまうくらいの生き方をしていたのだ。

自己肯定感イコール自分大好き、とは違う。
そして、自分のことを大好きだと思えなくても別にいいと思っている。

普通の暮らし(食べる、寝る、活動するなど)を日常でおこなえている限り、根本的に自分のことを心の底から嫌いだということは有り得ない。生きていて欲しいと根底で願うからこそ、そこにはささやかでも自分への愛が存在する。

では自己否定とは、どんな状態だろう?
わたしなりの解釈だと、自分で自分をいじめ続けている状態、ということになる。
過去に誰かに言われた言葉(または誰かが誰かに言った言葉)を使い『だからお前はダメなんだ』『最低だな』『消えちゃえばいいのに』などという自分責めを続ける。

要するに、自虐プレイ中なのだ。

自分責めの前提としてあるのは、何事にも完璧でありたいと願う、理想の自分像。
例えば主婦なら、家事も子育ても完璧にできて、その上でフルタイムの仕事までバリバリこなせて、嫁姑も仲良くて、旦那さんとも仲良しで、子どもは優等生で、素敵な一戸建てに住んで、素敵な車に乗って、、などといった具合。

今のわたしならハッキリと言える。
そんなのちゃんちゃらおかしいレベルで無理だ。そんな人がいたら、人間国宝にしたい。

でも、自己肯定感が低い人は、自分を低い位置に保とうとするため、そんな理想を掲げて自分責めを続ける。

わたしの場合も、結婚後は子どもに恵まれなかったこともあって、かなり自分責めを続けてきた。

それで今はどうか、というと。
自分大好き!とまで言えるかはわからないけれど、こんな自分も悪くないぞ、と思いながら生きている。

完璧を目指すことをやめて、できる女風味をやめて、ポンコツ人間にまで成り下がった。
というか、できる女でもないのにそれを演じ続けるというのは、いい加減無理があるのだ。


ポンコツ人間に成り下がると、自ずと自己肯定感は回復する。
普通、逆じゃね?と思うかもしれない。完璧を目指して、それが達成できたら自己肯定感が生まれると思いがちだが、それがそもそもの間違いなのだ。

例えば自分の点数が100点満点中の40点だったとする。そのとき、きっと100点を目指して、あと60点を埋めにいくことだろう。
そして100点に達したとき、また気づく。ここは100点の場所ではなかったのだと。
これを死ぬまで繰り返していくなんて、生きた心地がしないと思うのだ。

そもそも100点満点の物差しを決めたのは、他人と比較した自分だ。ならば、今40点だと感じているその自分を、いっそ40点満点で評価してあげたらいい。他人と比較する必要なんてないのだから。

これは、向上心がないということとは違う。
誰かと比べて、誰かと同じでなければならないと思うことがお門違いなのだ。

足が速い人がいて、その人を見て自分も『足が速くなりたい』と思うことは素敵なことだ。でもその人より足が遅いからといって、自分が素敵じゃないことの証明にはならないのだ。


ありのままの自分、と言うけれど。
自己肯定感とは、現状をそのまんま一度引き受けてみる、という感覚に近いかもしれない。
そこにジャッジメントはない。

ドラクエをプレイしたことがあるなら分かるかもしれないけれど、戦士は魔法が使えないし、魔法使いは体力が劇的に弱い。
戦士が魔法を使えないことを嘆くより、魔法使いが弱いことを嘆くより、互いの良さを補い合えば、より上手くいくのだ。

そうして、今のまんまのわたしで、案外面白いし可愛いヤツだな、となる。
それこそが自己肯定感なんじゃないかなと、わたしは思っている。

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