見出し画像

受託をやめ、資金32万円でサービス開発を始めた男の"これまで"(前編)

今からちょうど5ヶ月前。
僕はこんな宣言をしていました。

大学卒業から1年3ヶ月。僕は受託でなんとかここまで食いつないで来た。
そして今月はついに、45万円稼ぐほどになった!!
が、
受託をやめます!
貯金残高32万円、今後入る予定の収入は36.5万円。
節約してもタイムリミットは、9月まで
卒業してから1年以上サービスを考えてきたのに形にもできず、既に人生失敗しかかっている僕はこれから最後のビッグなダイブをすることにしたᕦ(ò_óˇ)ᕤ

『就職しなかった23歳が、受託をやめて自己資金32万円でサービス開発に没頭する話』(2018.06.17投稿)より

そして、現在11月。
なんとか、僕が始めた挑戦は今も続いています
いや、それどころか、6月に宣言をした時には想像もできなかった壮大な展開を迎えています。

好きに仲間と挑戦できる世界を創りたい

その一心で、走り続けた5ヶ月間。
今回は、そんな挑戦を始めてから今に到るまでの”困難”
喜び”
、そして"この先の展開"について書いてみました。

emoleの始まり

そもそも"emole"というサービスの種が生まれたのは1年前の夏でした。
8年間かけて探し続け、見つけたライフミッション。それが、『好きに仲間と挑戦できる世界を創る』でした。

しかし、それから半年間はビジョンを具現化する方法が思い浮かばず苦戦をします。
あまりにも見えない所をぐるぐる回っている感がして、自信も失い、今年の3月には就職活動をしたりしたぐらいです。
実際にベンチャー企業の新規事業部に内定をもらったりもしていました。

しかし、必死に受けて合格をもらったにも関わらず、その時抱いていた感情は、悔しさ悶々とした気持ちでした。

8年もかけてやっと見つけたビジョン。
「お金にならないよ」とか「今の君のスキルじゃ無理だよ」とか、散々言われてきたけど、それでもやっぱり諦め切れませんでした。

それと同時に、偶然にも僕が実現したいと思う世界に向かって挑戦するサービスがいくつか生まれ始めていました。

「やるなら今しかない」
直感的にそう感じました。
全くマーケットが見えない領域。
でもこの不確実さがスタートアップとしてやるにはちょうどいい時期なんじゃないか。

確かに自分にはスキルもリソースもありませんでした
それでも、「スキルをつけてから」などとチンタラしてる間に、誰かが今自分がやりたいと思っていることを実現してしまったら、きっと一生後悔する

だったら、どんなにヘナチョコ状態でも挑戦して負ける方がマシだ
そんな思いから就職をすることをやめて、再び『好きに仲間と挑戦できる世界を創る』ための構想を始めました。

訪れた転機

そんなこんなで少しずつサービスの概要が固まってきたころに突然訪れたのが身内の不幸でした。

祖父母が亡くなってしまったのです。
祖母は、僕に始めて新しいものを生み出す楽しさを教えてくれた人でした。
ずっと、いつか恩返しをすると言ってきたのに、そのいつかが来る前に旅立ってしまいました。

そして、それは始めて死を身近に感じた体験でした。
人はいつ死ぬかなんてわからない。
「いつか」なんて言ってたら一生誰にも何も証明できずに終わってしまう。

そんな思いに駆られた僕は、その時まで続けていた受託も全てやめ、サービス開発に全力を注ぐことに決めました。
これが僕の挑戦の始まりです。

あっという間に尽きる資金とチーム崩壊の危機

威勢良く宣言したはいいものの、当然のごとく、あっという間に資金は底を尽きかけてしまいました。

挑戦開始から2.5ヶ月、プロダクトの開発を進めてはいたものの、なかなかリリースの目処も立ちません。
さらに、ほとんど無いような金額しか渡せていなかったチームメンバーのモチベーションも徐々に停滞していきます。

VCや個人投資家からの調達も考えてはいたのですが、すぐにできるような状態でもありませんでした。

焦りが増す中、メンバーのコミット量は徐々に減っていってしまいます。

正直8月後半は、半分うつ状態で、寝れ無い、動悸がする、無気力、息苦しい、という状況が続き、どうにもならない局面を迎えていました。

もはや、自分の生活も苦しい状況となってしまい、威勢良く「受託をやめる」と宣言した手前、かなり悔しかったのですが、最低限生活できるだけの資金を確保するために、再び受託を始めました。

起死回生の一手:クラウドファンディングへの挑戦

なんとか生活資金は確保できたものの、相変わらず仲間に対しては、ほとんどお金を払うこともできない状況でした。

なんとかして、この状況を脱却しなければいけない。
このままでは、emoleの開発が完全にストップしてしまう。

そんな状況下で、ある時emoleの開発を手伝ってくれていた方から「クラウドファンディングに挑戦してみてはどうか?」という提案を受けました。

正直これまでに何度もクラウドファンディングのことは考えてきました。
それでも、「本当に支援が集まるのか?」「他人からお金をもらうのは気が引ける」という思いがあり、なかなか踏み切ることができずにいました。

そんな思いを伝えると、提案してくれた方は、

「クラファンでの支援を集めるという行為は、単にお金をもらうということではありません。emoleを楽しみにしてくれている人たちを巻き込み、一緒に開発に加わってもらうということです。emoleのリリースを待っている人たちの期待に応える覚悟があるのであればやるべきです。お金が理由でそのビジョンを諦めては欲しくない

という言葉かけてくださりました。

そして、僕自身これ以上チームの仲間に無給でやり続けてもらうわけにはいかないと感じていました。
emoleの可能性を示さなければいけないし、今コミットしてくれていることに対して、敬意を込めてちゃんと報酬は出したい

もうemoleの開発は僕個人の夢という範囲を超えて、多くの人たちを巻き込んでいるプロジェクトになっているのだという実感が湧きました。

ここまで一緒に走ってくれたメンバーやリリースを待ってくださる方々の期待に応える覚悟があるのであれば、今このタイミングでクラウドファンディングを始めるべきだ!

そう思い、決意を固めました。

決意を後押ししてくれたコミュニティの仲間達

正直、ITサービス系のプロジェクトで成功している事例をほとんど見たことがなく、かなりビビりながら始めました。
最初は目標額を80万円に下げようかと何度も悩んだくらいです。

ただ、一方で、前々からつくっていたサービスコミュニティ"emole college"には100人ちょっとのメンバーがいて、始める前からすごく協力していただいていました。
クラウドファンディングを始める前から企画について相談すると、多くの方々から温かい声や応援をいただき、そうした声が僕を後押ししてくれました。
『これなら、もしかするとイケるかもしれない。』
そう思い、最終的には目標額100万円で勝負に出ました。

一刻も早く資金が必要だったため、着金手続きの期間の関係で3週間以内に支援を集め切る必要がありました。

それでも、いける!と思えたのは、emole collegeやtwitterで応援してくださる方々がたくさんいたからです。

106人の方々からいただいた大きな支援

実際にスタートすると、初日に30万円以上の支援をいただくことができました!

画像1

もちろん、途中、支援が0円の日もあり、ヒヤヒヤ・ドキドキするのですが、それでも地道に数字を伸ばすことができ、最終的には、112万7500円の支援をいただくことができました。

画像2

何よりも、今回クラウドファンディングに挑戦してよかったなと思ったのは「こんなにも多くの人たちが、"emole"に期待してくれていて、楽しみにしてくださっているんだ!」というのを知れたことです。

自分でも驚くほどたくさんの方々に、シェアしていただけて本当に嬉しかったです。
学生時代からの友達、インターン時代の上司、emoleを始める前にやっていたプロジェクトで繋がってきた方々、emoleを始めてから出会った皆さん、本当に多くの方々に、温かい言葉を添えてシェアしていただきました。

クラウドファンディングを始める前以上に、『このプロダクトは絶対に完成させて世に出さなければいけないんだ!』という気持ちがより強く湧きました。

*クラウドファンディングのノウハウについては、別途記事を作成してお伝えしたいと思っています。

加わる新たな最高&最強の仲間達

そして、このクラウドファンディングで勢いがつき、少しずつチーム"emole"の仲間が増えいてきています。

秀才"バックエンドエンジニア":飯島 靖成
クラファン開始直後で、支援が集まる保証もなかったのに見切り発車で、"やりたい!"と言ってJoinしてくれたやすさん!
東大卒、ヒカカク!で有名な"ジラフ"出身の秀才フリーランスエンジニア!
現在は、家事管理アプリ"SMUZOO"と全く新しいビフォーアフターSNS"ビフォパ"の2件のプロジェクトに関わりながらemoleの開発も勧めてくれています。
Facebook / Twitter

最強"ハッカー":徳山 克矢
クラファンチャレンジが終了した後にbosyuから応募してくださったバンクバー在住のかつやさん!
いくつもの0→1フェーズのスタートアップを渡り歩き、メガベンチャーのバックエンドやブラウザ"Smooz"の開発をしてきた最強ハッカー!
Facebook / Twitter

アウトローな奇才"戦略プランナー":山田 拓人
クラファン実施中に声をかけてくれた見た目が超絶怪しいけど、めっちゃお兄ちゃんなタクトさん!笑
某米国大手通信企業で新事業開発&NYCで支社立ち上げを担当。その後、某米国ITベンチャーの事業成長プランニングを行い、1.3億ドルの資金調達後に日本でローカライズをして、1億人以上のユーザーを獲得。
帰国後は、2014年都知事選のマネージングや下北沢の街づくり(商店街復興計画)、熱海市での地方創生、インバウンドのプロモーションチームでの老舗旅館再生やWEBまわりのアドバイザリーを行う最強戦略プランナー!
facebook / Twitter

アートな感性とユーザー視点を併せ持つ"デザインアドバイザー":山村 藍琳
"expeet"というスキルシェアサービスで出会った超絶尊敬しているあいりんちゃん !
リクルートやメルカリ、博報堂など、数々の優良企業のインターンを経て、慶應SFCを卒業前にフリーランスに転身。
その後、"expeet"のUI/UXデザインを全て担当した天才デザイナー!
emoleのブランドコンセプトやロゴづくりも一緒にやってくれています^^
facebook

また、先も見えず、報酬もない状況から、バイトもやらずに収入0のギリギリな生活をしながらも、emoleの開発に没頭してくれた仲間がいます。

爆速成長を遂げる粘り強い"フロントエンドエンジニア":小山 慧
8月ごろから開発に加わってくれている、同い年のおやまっち!
2年前に起業後、ビジネスマッチングサービス"Saleshub"でインターン。
全てを投げ出して、emoleの開発チームに参加してくれました。
辛い状況の時もずっと一緒に開発を続けてくれていて、僕の精神的支柱でもあります。
Facebook / Twitter

そして最後に、まだ構想すら固まっていなかった時から、emoleを何度も作り直してきてくれた、大学の後輩。

自由奔放な気まぐれ天才"エンジニア":杉田賢人
彼がエンジニアになる前からの繋がりで、以前から何度も一緒にプロジェクトを立ち上げたり、シリコンバレーにも一緒に行った仲。
大学内のシラバス検索システム"Rep"を開発し、10万pv/月達成を達成した男。
現在はfreeeから内定をもらっています。
彼なしでは、emoleが立ち上がることはなかったと思っています。
Facebook / Twitter

これまでずっと孤独の中、いろんな挑戦をして来た僕にとって、この挑戦を共に走ってくれる仲間は本当に掛け替えのない存在です。
今僕はまさに、好きに仲間と挑戦して生きている。
本当に幸せで仕方がありません^^

次なる挑戦へ

そんな訳で、emoleは今、地の底から這い上がり、新たな展開を迎えようとしています。
クラウドファンディングと並行しながら、密かにいくつかの飛び道具を用意しました!
皆さんにいただいた大きな力をエネルギーに変えて、さらなる飛躍をしていきます。

受託をやめ、資金32万円でサービス開発を始めた男の"これから"(後編)へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?