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赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設のご紹介

 北海道空知総合振興局です。
 今回は、今年2月に知事が訪れた「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」についてご紹介します。


黒いダイヤ、石炭

 赤平市は空知川に沿って集落が密集する谷あいの都市です。現在の人口は8千人あまりですが、昭和30年代には5万人を超える人口を抱え、中空知地域では芦別市に次いで2番目に市制施行を果たしました。

 なぜ、これだけの人口を抱えたのか。なぜ、その後急速に人口が減少したのか。その謎を解く鍵は「黒いダイヤ」とも呼ばれた「石炭」にあります。
 
 明治から戦前にかけての急速な近代化、二度の世界大戦、そして戦後の復興から高度経済成長にいたるまで、エネルギーの主役は石炭であり、石炭を安定的に確保することは国家的なミッションで、全国で炭鉱の開発が推し進められました。

 中でも北海道の空知には良質な石炭が大量に眠っていたことから、政府の主導で大規模な開発が進められ、ここ赤平にも主要な4つの炭鉱が設けられて、たくさんの炭鉱マンが「黒いダイヤ」を求めて全国から集結しました。

 しかし、1970年代以降、次第にエネルギーの主役は石炭から石油に移り、また、円高の進行により安価な海外炭に需要を奪われ、北海道の炭鉱は徐々に役割を失っていきます。

 そして1994年、住友赤平炭鉱が閉山、翌年には歌志内の空知炭礦が閉山し、空知から坑内掘り炭鉱がなくなりました。1995年の国勢調査では、赤平市の人口は1万7千人あまりまで減少していました。

「東洋一」住友赤平炭鉱

 住友赤平炭鉱は1938年に開鉱し、最盛期には4千人を超える従業員を抱え、年間190万トンを超える出炭量を誇りました。

 特に1963年に完成した立て坑櫓は高さ43.8メートル、深さ650メートルにも及び、完成時には「東洋一」と謳われるほどでした。

 立て坑櫓とは、坑道と地上を結ぶ「エレベーター」のようなもの。住友赤平炭鉱の立て坑櫓は時速40kmを超える超速で地下へ下降、1分もかからないうちに地下600メートルの地底へと炭鉱マンたちを運んでいました。
 
 また、立て坑櫓と道路を挟んで向かいには、坑口浴場が現存しています。炭鉱の労働はきつい力仕事ですから、炭鉱マンはここで汗と炭塵をしっかり落として、家路につき、あるいは夜の町へと繰り出していったのです。

現存する坑口浴場
坑口浴場の外観

在りし日の語り部、三上秀雄さん

 炭鉱遺産ガイダンス施設はこの住友赤平炭鉱の施設を紹介し、実際にガイド付きで見学できる施設として2018年に赤平市によりオープンしました。そのガイドを務めるのが、三上秀雄さん。ここ住友赤平炭鉱で閉山まで炭鉱マンとして働いておられた、炭鉱の「生き証人」です。

 三上さんは赤平で高校を卒業して18歳で住友赤平炭鉱に就職し、閉山とその後の後処理が終わるまでの20余年に渡ってここでお勤めになりました。

 現場では「救護隊」を務め、事故が起きた際には真っ先に駆けつける役割を担い、ときに悲惨な事故の現場にも立ち会ったという三上さん。自然発火やガス突出など大きな災害にも何度か立ち会ったと言います。
 
 一方、炭鉱で講じられていた安全対策についても、三上さんは教えてくれます。炭鉱に入る際にはたばこやライターなどの持込は厳禁とされ、厳しい身体チェックが施されたといいます。

 知事が訪問した際には、「石炭・炭鉱があったから今の日本があるといってもいいくらい、石炭は重要なものであったし、同時に多くの犠牲も生んだ。この歴史や関連施設・生活文化について、ガイダンス施設を拠点に多くの人に伝え、次世代に繋げたい」と語ってくれました。

知事をガイドする三上さん

日本遺産「炭鉄港」とこれから

 空知の石炭と室蘭の「鉄」、小樽の「港」、そしてそれらをつなぐ「鉄道」をめぐるストーリー「炭鉄港」は、2019年に日本遺産に認定され、住友赤平炭鉱の立坑櫓や周辺施設もその構成文化財に指定されました。

 炭鉱遺産ガイダンス施設は2023年10 月に累計来場者数が50,000人を突破、一般客のほか、小中学校の見学利用も増えていると言います。

 近代化や復興の原動力となった炭鉱の歴史を体感できる、炭鉱遺産ガイダンス施設。みなさんもぜひ、一度三上さんのガイド付きでご覧ください。


 北海道では、鈴木知事が地域の創意工夫ある取組を直接お聞きし、道の施策に反映するとともに、広く発信していく「なおみちカフェ」を実施しています。
 今回ご紹介した赤平市でのなおみちカフェの様子は、以下のリンクからご覧いただけます。

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