KIACコミュニティプログラム_タケノ時空間散歩『この家で』2022年リサーチ日記 4
7月18日
以前車での移動販売をしていた太田吉男さんを訪ねて、竹野南地区の二連原(にれんばら)へ。吉男さんからアドバイスを受けつつ、これから移動スーパーをしようと準備中の谷川いづみさん(地域協力隊として竹野に移住)と待ち合わせて、吉男さんの畑に行きました。ナスやきゅうりをどっさりいただいた後、集会所に移動してお話を聞きました。
移動販売の車から「おさるのかごや」の音楽を流して、竹野南の各地を回っていた当時のことや、そこに至る経緯や仕入れ先のことなどとともに、二連原に暮らしているならではの季節の食べ物や知識の興味深いお話の数々。その合間に脱線する内容が面白く、私がついつい乗ってしまうのをKIAC館長の志賀さんが戻してくれたりしつつの時間でした。今地域のみなさんが求めている声に応じての移動スーパー実現への谷川さんの熱い思いには、大いに敬服です。
竹野南地区コミュニティセンターにて各自持参の昼食をとり、午後からはその近所にある森本中学校の教師でもあった田村さんの案内で、森本地区を歩きました。万年青で読んだ「日限り地蔵」の話を検証したかったことと、話に出てくる地名「梅田橋」や「梅田三角」を調べていたら、田村さんが「梅田橋」を描いた水彩画が検索結果に出てきて、その風景を紹介していただきたいという思いもありました。
森本は床瀬からの三椒川と三原からの竹野川が合流する地点でもあります。梅田橋を渡って竹野川の上流に向かって国道沿いに歩くと、岩肌をえぐってしつらえた祠がありました。御本尊は確認しにくい構造のため、お地蔵さまなのかどうか見たところではわからなかったのですが、もしかしたら「日限り地蔵さま」かもと話していました。
3つの道が出会う地点で、以前は商店も多く大いに賑わっていたという「梅田三角」へと入って行くと、偶然にもちょうど里帰りしていた田村さんの教子であった方に出会い、呼び出していただいた彼のおばあさまが、なんとお地蔵さまへのお供えの花などを日々お世話している方だったのでした。
やはり先ほど拝見したお地蔵さまが「日限り地蔵」であり、川からあがったという言われも「万年青」で読んだものと同じでした。まさかこんなに思いがけなく生きたお話を聞ける出会いがあるとは!「万年青」で読んだ「梅田三角」が賑やかだった頃が蘇って、一気にあたりの風景が色鮮やかになるようでした。毎年の地蔵盆には三角でお地蔵さまをお祀りすることや、元々はここではじまった地蔵盆の変装踊り、そして長年営まれていた美容室のこと等々のお話に引き込まれたひと時でした。
三角の後は、旧森本中学校の校舎内を訪問させてもらいました。現在は「白バラクリーニング」が体育館などを大物のクリーニングのために活用していますが、木造の旧校舎は当時のままの状態でした。板張りの素敵な長い廊下、畳敷きの家庭科室、図書室の閉校時に撤去した書棚の後ろに隠れていた黒板には、数十年前の日直二人の名前が残っていたり…。階段の無垢の木の手すりには、虫が巣食っていた穴を田村さんが削った痕跡があったり、はじめて訪れる校舎なのに懐かしさを覚えるような空間でした。
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