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外国人観光客が喜ぶ日本食の魅力を伝える英語#7 「うな重」

最近は円安が続いていますね。
インバウンドの流れはこれからも続いていきますよね。
日本人としては外国からの観光客を相手に何か売ってみたくなりますよね。
皆さんそういう経験はありますか?

おみやげ編に続き、インバウンドの観光客に人気の和食について、
英語のポップ案をお届けしたいと思います。

外国人観光客に和食について説明するときなど、参考にしていただけるとうれしいです。

本日ご紹介したいのは
【うな重】

「うな重」は、外国人観光客の「食べたい和食」として、大人気の料理です。
うなぎと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、「うな重」または「うな丼」でしょう。うな重、うな丼のどちらも、ご飯の上にうなぎの蒲焼きをのせた料理ですが、なぜ呼び方が違うのでしょうか?

答えは、うなぎの蒲焼きをご飯の上において、重箱に盛り付けたものが「うな重」、丼によそったものが「うな丼」です。でも、うな重の方が値段が高いというイメージがありますよね?シンプルに考えると、重箱の方が大きいために、入れるうなぎの量が多くなり、値段が上がってしまうのですが、実は歴史的な背景も関わっています。

うなぎ料理の歴史は古く、うなぎを食べていたという形跡が、縄文時代の貝塚から見つかっています。しかしながら、本格的にうなぎが食材として定着し始めたのは、江戸時代に入ってからです。

徳川家康が江戸の開発を進めていた頃、干拓によってできた湿地にうなぎが住みつくようになり、うなぎは労働者の食べ物として定着していきました。うなぎには豊富なタンパク質やビタミン、ミネラルが含まれているため、激しい労働で消費したエネルギーを補給するのに非常に適した食材だったわけです。

室町時代末期から始まった、うなぎを蒲焼にして食べるスタイルは、江戸の人々の間でも一般化していました。現代のような高級なうなぎ専門店や大衆食堂、さらにはうなぎの蒲焼を売り歩く露店商などによって、うなぎは庶民の間にどんどん浸透していきました。

うなぎを丼に入れて食べるスタイルは、1800年代の文化・文政年間に発案されたと言われています。芝居小屋にうなぎを出前させていた芝居小屋のスポンサーが、うなぎが冷めるのを嫌い、うなぎの蒲焼を丼飯の間に挟ませて芝居小屋に届けさせたのが、うなぎ丼の始まりだと言われています。

当時、芝居小屋での食事は重箱で提供されていましたが、うなぎ丼が好物だったその芝居小屋のスポンサーは、うな丼を重箱に盛り付けるスタイルを思いつきました。重箱は蓋が付いているため冷めにくく、また漆塗りの重箱に盛り付けることで見た目もずいぶん洗練されました。うなぎ料理は当時から高級でしたが、重箱に入れることによってうなぎの魅力をさらに高めることができ、うな重が広く知られるようになったといわれています。

土用の「丑の日」あたりに食卓に上ることが多いうなぎですが、うなぎの旬(食べごろ)もちょうどその頃なのでしょうか?
天然うなぎは、脂が乗って一番美味しく食べられる秋から冬にかけて旬を迎えます。それじゃあ「丑の日」にうなぎを食べる意味がないのではと反論したくなるところですが、ご安心ください。
天然うなぎの個体数が年々減少し、絶滅危惧種に指定されるまでになっている中、現在市場で売られているほとんどが養殖うなぎです。スーパーなどで販売される養殖うなぎは、土用の時期に食べごろがくるよう出荷調整されています。つまり、養殖うなぎは、6月から8月頃にちゃんと旬を迎えられるように大事に育てられているのです。

日本全国には、鰻丼や鰻重を提供するお店が多くありますが、それぞれのお店が独自のタレや焼き方にこだわり、個性豊かな味を楽しむことができます。地域の個性あふれるうなぎ料理をぜひご堪能下さい!

うな重の英語ポップはこちら
Unaju (eel box) is a very popular dish among foreign tourists as a ”Japanese food they want to eat." Rich in protein, vitamins, and minerals, eel is considered good for promoting our health. Eel has been popularly consumed in Japan for more than 200 years, especially as a nutritional supplement to get through Japan's hot and humid summer!

Eel cuisine has a long history. The traces of eel eating have been found in shell mounds from the Jomon period. It was not until the Edo period (1603-1867) that eel began to take root as a popular food among people.

When Tokugawa Ieyasu was developing Edo area (present-day Tokyo), eels began to live in the wetlands created by the land reclamation work by Edo Bakufu in order to secure farmland and residential areas. Eels became popular among the laborers, because eels are rich in protein, vitamins, and minerals. Eels were an ideal food for the workers to replenish the energy consumed during strenuous labor.

The style of eating grilled eel, which began in the late Muromachi period (1333-1573), was common among the Edo people. Eels became increasingly popular among the common people through high-class eel specialty restaurants, as is the case today, popular eateries, and street vendors selling grilled eels.

The style of eating eel in a bowl is said to have been invented in the late Edo period. The sponsor of a playhouse, who always had eels delivered to the playhouse, disliked the eels getting cold during transport. He got an idea of  having them delivered with grilled eels sandwiched between rice for avoiding eels cooling. This is said to be the beginning of eel bowl, since then, this style of eating eel on top of rice with sauce poured over it has been long popular among the common people.

At that time, meals at playhouses were served in lacquered boxes, and the sponsor of the theater, who was fond of eel bowls, came up with the idea of serving eel bowls in a lacquered box. The lacquered box, with its lid, kept the bowl from getting cold, and serving it in a lacquered box improved its appearance considerably. Eel dishes were expensive at the time, but by placing the eel in a lacquered box, the appeal was more enhanced and widely known.

There are many restaurants throughout Japan that serve eel bowls and eel rice box, each with its own unique sauce and cooking method, offering a unique taste. Why don't you try?

日本語訳
「うな重」は、外国人観光客の「食べたい和食」として、大人気の料理です。
タンパク質やビタミン、ミネラルが豊富で、健康に良いとされるうなぎは、特に夏バテを乗り切るための栄養補給食として、200年以上前から日本で食されてきました。

鰻料理の歴史は古く、縄文時代に鰻を食べていたという形跡が、貝塚から見つかっています。が、本格的にうなぎが食べ物として定着し始めたのは、江戸時代に入ってからです。

徳川家康が江戸の開発を進めていた頃、干拓によってできた湿地にうなぎが住みつくようになり、うなぎは労働者の食べ物として定着していきました。鰻には豊富なタンパク質やビタミン、ミネラルが含まれているため、激しい労働で消費したエネルギーを補給するのに適した食材だったわけです。

室町時代末期から始まった、うなぎを蒲焼にして食べるスタイルは、江戸の人々の間でも一般的でした。現代のような高級なうなぎ専門店や、大衆食堂、そしてうなぎの蒲焼を売り歩く露店商などによって、うなぎは庶民の間にどんどん浸透していきました。

うなぎを丼に入れて食べるスタイルは、1800年代の文化・文政年間に発案されたと言われています。いつも芝居小屋にうなぎを出前させていた芝居小屋のスポンサーが、うなぎが冷めるのを嫌い、うなぎの蒲焼を丼飯の間に挟ませて芝居小屋に届けさせたのが、うなぎ丼の始まりだと言われています。

当時は、芝居小屋での食事は重箱で提供されていましたが、うなぎ丼が好物なその芝居小屋のスポンサーは、うな丼を重箱に盛り付けるスタイルを思いつきました。重箱は蓋が付いているため冷めにくく、漆塗りの重箱に盛り付けることで見た目がずいぶんよくなりました。

うなぎ料理は当時から高級でしたが、重箱に入れることにより、うなぎの魅力をより高めることができ、うな重が広く知られるようになったといわれています。

日本全国には、鰻丼や鰻重を提供するお店が多くありますが、それぞれのお店が独自のタレや焼き方にこだわり、個性豊かな味を楽しむことができます。地域のうなぎ料理をぜひお試しください!

次回も、インバウンドの観光客にお勧めしたい和食を、英語のポップ案とともにお届けします。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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